支配からの卒業
2020年のアメリカ大統領選挙の時でもそうだし、SNSでは割と頻繁に陰謀論という言葉を目にする。
世の中に流れる陰謀論みたいなのは、ファンタジーとして見る分にはなかなか面白い。よくできたファンタジーだと思うと目にしておいて損はない。
陰謀論を肯定する方も否定する方もそれなりのエビデンスを準備して、お互いの正当性を主張しているので、凄く興味深い。
真実は1つじゃないってことなのだろう。
ある人にとっての真実が存在するとして、人の数だけ真実があるってコトになる。
その人にとって真実なら真実なのだ、きっと。
そして、誰かの主張する真実を自分の真実のように捉える数が多ければ多いほど、それは世の中の真実になりやすい。
誰かの主張にしたがって生きるか、自分の主張を持ち自分の世界で生きるのか、今ならわりと選べるのではないだろうか?
以前なら難しかっただろうけど。
で、陰謀論っていうのは「搾取する支配者と搾取される人々」の構造を語るようなのだけど、そういう世界があるかもしれないし、ないのかもしれない。
すでに私自身がそういう世界の中で生きているのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
私自身が搾取されているかどうかの自覚は低いのだけど、間違いなく支配はされている。
残念だけど支配を受けている現実は認めなければいけない。
残念だけど。
私以外の多くの人も同じく支配を受けていることだと思う。知らないうちに。
それこそ陰謀論のようだ。
私が支配を受けている対象とは「習慣」だ。
なかなか習慣の支配から抜け出せずにいる。
習慣の支配から抜け出せないといけないのか?
きっとこの疑問から始まる場合が多いだろう。
別に支配を受け続けてもいい。問題を感じないのであれば。
現実の社会でもそうだろうけど、人は問題を感じていない時に行動を起こそうとはしない。
だから「習慣の支配」を受けていても、それによって何か問題が生じていないのであれば習慣から抜け出そうとはしないのだ。
難しいのは「習慣の支配から抜けだそう」と思ってもなかなか抜け出せない点だ。
習慣は
行動
思考
感情
など、形を変えて私を支配する。
当事者が支配を受けているコトに気付かないレベルで支配をしている。
だからまず、どのような習慣の支配を受けているのかに気付くのがポイントだ。
自分の習慣に気付くための手っ取り早い方法は、自分とは異なる習慣の人のそばで過ごす時間を増やすことだ。
「この人なんでこんなことしてるの?」
「この人なんでそんな発言するの?」
「この人なんでそんな風に考えるの?」
これらは自分の習慣と異なる何かに触れた時に生まれる違和感だ。
その違和感や疑問が生まれてる時は、自分の習慣の輪廓がつかめる。
習慣に気付けたら次は「それを変える意思があるかどうか」だ。
その意思がないなら、そのまま習慣に従おう。
繰り返しになるけど問題が生まれてないなら、問題がない。
そのままでいい。
私は習慣に従うとは「過去の自分の言いなりになる」だと思う部分がある。
過去の自分に敬意を表して、従う部分もあれば、過去の自分を否定したい時もある。
なぜか。
それは「なりたい自分」「ありたい自分」が過去にないから、だ。
習慣の継続が「ありたい自分」に向かわないのであれば、強い意志でもって習慣を否定しないといけない。
具体的には新しい習慣でもって過去の習慣を上書きする。
ん?
結局、習慣の支配に入るのか?
お釈迦様の掌の上の孫悟空みたいだ。
難しいことを言っているみたいだけど気分よく過ごせればそれでいいし、気分よく過ごすためにどうしようか、ってところは工夫しないとね、という話だ。
ちなみに私は「生きている以上、全ての支配から自由になるのは不可能だ」と思う派だ。
どうせ支配を受けるなら、支配者は選びたい。
私は私の言いなりになる。
私は自然の言いなりになる。
尾崎豊さん、「支配からの卒業」は叶いそうにありません。
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