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行動に移すのに誰かの許可は必要か?−いりません
チャレンジをしようとしている人に対して、「そんなことして大丈夫なの?」、「それやっていいの?」と言ってくる人は一定数います。
誰かの許可を得ないとチャレンジはしてはいけないのだろうか?
少なくとも、分別のつく大人で、これまで法に触れるようなことをしてこなかった人がチャレンジするときに、誰かの許可は必要だろうか?
「そんなことして大丈夫なの?」と聞く人は、失敗したくないのでしょう。
それは、合理的な判断とも表現できます。
そういう人たちにとっては「失敗」は無駄な行為で、不要な経験なのかもしれません。
チャレンジしようとしている人にとっては、そもそも「失敗」じゃない。
うまくいかなかったとしても「一つの経験」としてカウントするだけのことです。
成果が得られなかった場合は、そのチャレンジにかかるコストを回収できないという見方もできるので、非合理的に映るでしょう。
でも、その経験があるから「次は合理的に振る舞う」ことが可能になります。
チャレンジしなければ、そういうものは得られません。
だいたい、チャレンジする場合は、ある程度のシミュレーションを行います。
なんの準備もしない行動はチャレンジとは呼ばないです。
暴走です。
シミュレーションを重ねた上で、自分へのGoサインを出すのです。
誰の許可も必要ありません。
「そんなことして大丈夫なの?」と聞く人は、自分の想像を超えたことをされようとしているから、言ってくるのでしょう。
逆説的に言うと、「自分の想像の範囲でしか生きられない」人なのです。
自分の枠を超えていこうとする人とは、根本的に違います。
誤解しないで欲しいのは、その違いには優劣がないとことです。
違うだけで、どちらが良いとは言えません。
それぞれの考え方が生きる環境や状況があるでしょう。
重要なのは、自分で責任を取れるかどうか、にあります。
自分で取れないのだとしたら、責任を取ってくれる存在があるのかどうか。
その立場によって思考は変わるでしょう。
特に子供に対しては暴走にならない範囲でチャレンジをしてもらいたい。
そのために、私はチャレンジをしています。
それもあってか、「そんなことやっていいの?」とよく聞かれてしまいmす。。。
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