人はどこかで「自分の頭の中を誰かに表現して欲しい」と常に思っているのだと思う。/映画雑感「人間失格」
人間失格と聞いたら真っ先に思い浮かべるのは太宰治。
あるいはKinKi Kids。野島伸司さん脚本のドラマで、1994年の放送だから27年前か。じつはこのドラマタイトルは「人間・失格」なので、太宰治さんとは関係がない。
27年前15歳の私はたまたまこのドラマを観ていたので、記憶の片隅にあっただけ。あらすじも良く思い出せない。学校のいじめがテーマになっていたような気がする。
今回観たのは、映画「人間失格」。
私もいちおう太宰作品には触れている。と言っても「人間失格」と「斜陽」の2つだけど。
人間失格を読んだのは20歳を超えたあたりだったと思うけど、とにかく衝撃を受けたのを覚えている。上手く言えないけど、読んでいて救われたというか。
好きな作品だ。
それがそのままタイトルになっているのだから、観ない理由はない。
キャストを見ても、名だたる顔ぶれ。
一点だけ気になった。
「監督 蜷川実花」
蜷川さんが監督を務めた作品だった。
先日「Diner」を観て、なんとも言えない気持ちになったのだけど、それをこの度も味わうのだろうか?
たしかに「Diner」の時も「人間失格」もキャストに私の好きな俳優さんの名前が並ぶ。
期待と不安が入り交じりながら映画「人間失格」を観る。
え?え?ええ?
という感じで話が進んでいって、終わった。
最後「この作品は実話を元にしたフィクションです」の文字を見つけた。
あ、「人間失格」を描いた作品じゃなかったのね。観終わってから知った。
人間失格ってこういう話だっけ?みたいに思いながら観ていたから、そのもやもやは払拭された。
そして、蜷川実花さんらしい映像に凝った作りにもなっていた。
だけど、何かすっきりしない。
たしかに狂気は垣間見れた。
あの時代の作家って狂っている印象が強い。歴史に名を残すほどの人は特に狂っている気がする。良くも悪くも。
現代でもそうかもしれないけど、何かを生み出す、創り出す人って大衆とは違っている。
自分自身の奥深いところにある何かを自分の目の前につれてくるために、私のような人間ではわからないちょっと特殊な取り組みをしているはずだ。
その取り組みは苦しさを伴う。何かしらを削りながら行う。
それが自分自身を削るのか、何を削るのかはわからない。
村上春樹さんは、「だから小説家は肉体的に健全でないといけない」と言って走っていた。
音楽でも絵画でも、何かを創り出す人は大なり小なりその特殊な取り組みをしているのだと思う。
その取り組みによって、自分を苦しめるのだろう。
俳優、歌手、作家などのアーティストが薬物を使用して逮捕されるニュースを見るとそう思う。
作家だけでなくその周りの人々も、何処かおかしい。
お金や利権が絡み始めるとどんどんおかしくなっていく。恋だの愛だのが始まるとおかしくなっていく。もはや健全でいる方がおかしいのではないか?くらいまで狂っていく。
映画「人間失格」はそんな部分が描かれていたのかもしれない。
先ほども触れたけど太宰治の人間失格を原作に映画を作ったのだと思って観たので、私は困惑した。
ちがう。そういう世界じゃない。と。
けれど原作を描いたのではなく。狂っている人と狂っている周囲を描いたのだろうとおもったら、その困惑は落ち着いた。
役者さんは好きな人がたくさん出ていたし、主題歌は「カナリヤ鳴く空」だったから、好きなファクターはたくさんある。
スカパラもチバユウスケさんも大好きだ。
けれど、好きなファクターがそろえば、好きな作品になるかというとそうではないみたいだ。
有名選手だけ集めてサッカーチームを作っても上手くいかないのと近いか?
映画「人間失格」は作品としてはあまり好きになれない。
それは太宰治の「人間失格」に思いがありすぎるからなのかもしれない。
映画を観た後に、レビューを覗いてみたら酷評が多かった。蜷川さんって嫌われているのだろうか??世の中には映画評論家が多いみたいだ。(Amazonのレビュー)
作品を観る前に「監督 蜷川実花」の文字を観た時の不安は的中した結果になる。
それは蜷川さんがどうこうの話ではない。
私の頭の中にあった世界と蜷川さんの描く世界が違っていただけ、という極めて当たり前の話だ。(私程度と比べてしまい本当にすいません)
私の頭の中と同じ人なんていない。誰が監督でも結果の方向性は似てくる。
けれど、原作をもとに表現したのではなく実話を元にしたフィクションである「人間失格」と、原作を元にした「Diner」を観た後のなんとも言えない感覚が似ているのはどのように処理すれば良いのだろう???「またか」という感じ。
私の誤解なのだ。私が勝手に思い描いた世界と蜷川さんが表現した世界が違っただけなの。だから、これは何の作品を観ても起こり得るの。
原作のない作品か、私が原作を知らない作品なら、この感覚は生まれないのだろうか。
人はどこかで「自分の頭の中を誰かに表現して欲しい」と常に思っているのだと思う。
レビューで酷評する人だってそうだと思う。
自分(の頭の中)と違うってだけで攻撃してたらキリがない。
そんな風に感じた。