目の前の快楽と将来の苦痛
定期的に歯科検診に行っている。
半年に1回くらいのペースだ。
日々のブラッシングを評価されてか、歯科医から半年に1回のペースで良い、と言われた。
歯石のクリーニングが高頻度で必要な人ならそうはいかないのだろう。
半年に1回程度で済むのは、私のブラッシング技術と日々の努力の賜物であるのは間違い無いのだけど、もう1つの要因は「同じ歯科医に診てもらっている」点だろう。
同じ人が診るからこそ定点観測が可能になる。
「この患者の口はこうなっているのか」と知ること、レントゲン、歯の写真、歯茎の情報、ブラッシングのくせ、などの情報があるからこそ「比較」からの判断ができる。
この度の検診も複数箇所に虫歯は確認されているのだけど、「半年前と比べて進行していない」との判断から、「経過観察」とされた。
何を隠そう、私は「歯を削られたくない」人間だ。
医師は医師で予防歯科的な考えがあるらしく「削りゃあいいってもんじゃない」の思想のようだ。
2年くらいお世話になっているが、一度も削られない。
その前に通っていた歯科医はとにかく削る。それが嫌になって通うのをやめたくらいだ。
削らない根拠を持って「まだ削りません」と判断する歯科医を私は信用する。(流石に根拠がないなら信用できない。必要あるなら治療して欲しいもの)
多くの病気と口腔内の状況は関係している。
歯周病はほとんどの成人に見られるそうだ。
私は、長生きしたいわけではないけど、「痛い思い」をできるだけしたくないので自然と健康的な思考や行動になる。
とにかく痛いのが嫌なのだ。
だから体を大事にしている。
歯周病や糖尿病は痛みがないまま進行する。
そして、目も当てられない状況を生み出す。
そんな人を山ほど見てきたので、いわゆる生活習慣病にならないようにしている。
「健康のためなら死んでもいい」といった揶揄をみたことがあるけど、誰だって健康なまま死にたいのではないか?
痛みなく。
目の前の快楽と、将来の苦痛、どちらがいい?
目の前の快楽を選び続ければ、将来的な苦痛が待っている。
そんなふうに思っている。
まあ、快楽をどのように得るかにもよるのだろうけど。
私が得ている程度の快楽であれば、将来の苦痛も少ないような気がする。
土触って幸せになっている程度の快楽が、将来どのような苦痛をもたらすか?
幸せを感じながら生きた結果「長生き」になるのだとしたら、それはそれで苦痛なのかもね。
人生は難しい。