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fifty growing up_another side
40代の最後に読む本はオースターのブルックリンフォリーズにした。初見でなあんだなんてがっかりするのも嫌だったので、読んだことのある本の中から選んでみたけど、我ながら良い選択だったのではないかと思っている。オースターの本はいつだって深い余韻とともに、生きるってこんなこと、ほら、と目の前に差し出してくれる。文学という芸術が、小説という表現が、この世の中にあることを嬉しく感じる。
思ってもみないような変事に巻き込まれたり、一か八かに賭けて敗れたり、心温まる出来事に目を潤ませたりしながら、俯瞰して眺めたとき、まあまあの人生を送れていると感じられれば上出来だろう。愚かな道を歩んできたと苦笑いするしかない、僕が5回も重ねてきた10年間だけど、そんなに悪くもなかったんじゃないかなと思ったりもする。
20代の終わりも、30代のときも年齢に対しては特段の感慨はなくて、ぬるっと30歳や40歳になっていったような気がする。それを思うと40代の最後の1.2年はこれまでの足跡やこれからの生き方に色々と考えを巡らせることが多かった。その点で10代の終わりに、あれやこれやと齢や行く末について思考したことを思い出して、ああ、あの時の感覚かと追懐に浸る。考えていることは何も変わらず、長い年月のようだが一瞬のようでもある。あの頃と異なるのは僕の命灯の残りが30年分短くなったことだけだ。
このnoteに綴っているのはまさに僕の「人類愚行の書 ザ・ブック・オブ・ヒューマン・フォリーズ」。40代最後の2年間に思い、書き散らかした記録。愚かなる僕の人生は今のところまだ続きそうだけど、6回目の10年は何が起こるのだろう。