信じるということ
その人のことを信じようと思いますという言葉って結構使うと思うんですけど、それってどういう意味なんだろうって考えた時に、その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とする人物像に期待してしまっていることなのかなって感じて。
だからこそ人は裏切られたとか、期待していたのにとか言うけれど、別にそれはその人が裏切ったとかそういうわけではなくて、そのひとの見えなかった部分が見えただけであってその見えなかった部分が見えた時に、あ、それもその人なんだって受け止められる揺るがない自分がいるっていうのが、信じられることなのかと思ったんですけど。
でもその揺るがない自分の軸を持つってすごく難しいじゃないですか。だからこそ人は信じるって口に出してなんかこう不安な自分がいるからこそ、例えば成功した自分だったりとか理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないのかなって。
映画の完成報告イベントで、信じるとはどういうことかという質問に答えた芦田愛菜さんの発言です。実は一回聴いただけではよく分からなかったので、書き起こして読んでみました。聞かれる質問に対してある程度用意はしているのでしょうが、この回答は本当に素晴らしいと感じました。作品内容を踏まえた発言なのかもしれないので、見ていない私がとやかく言うのは見当はずれかもしれませんが少しだけ。
誰かを信じるとは自分自身の問題。結局誰かを信じるとは自分自身を信用できるかという問題に帰結するということを彼女は示唆していると感じました。自分自身に対する信頼が構築されて初めて他者への信頼も成り立つ、ということなんでしょうね。あなたを信じるという私を信じる、という境地に立ちたいものです。
日本中のたくさんの人が、彼女のことを小さな頃から知っていて、きっと彼女自身も過度な期待をかけられたり自分が持っているものと異なる理想像を(せめて願わくば善意的に)押し付けられたりしてきたのでしょう。複雑な経験や、多分ですけど豊富な読書に支えられた知性が16歳にしてこの深みのある言葉を生み出しているのだなあと心から感心させられました。
きっと本を書いても優れたものを世に送り出せる方なんだろうなあと思います。
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