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私にとって、斉藤朱夏はどういう存在なのか(第4章)
第3章では10都市14公演あった朱演2022『キミとはだしの青春』ツアーの中で、特に自分の印象に残った3公演について書き、朱夏がどんどん自分の”いきるりゆう”になっていることを書いた。また、『くもり空の向こう側』公演についても書いたが、特に2部の方で書き加えたいことが出来たので、今回はそこから書き進めていこうと思う。
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『くもり空の向こう側』
朱演2022『くもり空の向こう側』公演があったのは、12月3日。この時期の私は大学の卒業論文作成にガチで追われてた時期で。3人で卒論やってたのが2人になったり、そしてうちの担当教員結構厳しくて、締切が迫る中で分析を何度もやり直したり論文書き直したりって日々で、精神的に本当にキツかった💦
そんな中で『くもり空の向こう側』に参加した訳だけど、その時のMCで
「私がくもり空の下にいてもその先にはキミがいるって分かったし、キミがくもり空の下にいる時もその先には私がいるから安心して突っ走って。そして出会ったとき、また遊ぼっ‼️」
って言ってくれて。当時、まさにくもり空の下にいた私に朱夏のこの言葉が深く刺さって。そのことばのおかげで、しんどかった卒論制作だけど、年内に何とか完成させることが出来た。
本当に不思議なんだけど、朱夏はいまの僕の状況にピッタリな、タイムリーなことばを朱演で何度も送ってくれて。。「朱夏は、私のTwitterアカウントを監視してるんじゃないか?」と、かんちがいしてしまうぐらい。でも、本当に「朱夏に監視されてるかもしれない」と思って日々、ツイートするようになって。朱夏に見られても困らない・恥ずかしくない呟き方を意識してる(「あれで?」と言わないで))
少し話が逸れたが、朱夏がいなかったら卒業論文頑張れなくて下手したら卒業できてなかったかもしれないからこそ、朱夏にはホント感謝しかなくて。僕の人生を支えてくれる存在になっていることを改めて認識した。
そして、卒論が無事年内に完成して色々落ち着いて。これまでと一転してすごく時間ができ、自分のこれまでを見つめ直していたのだが、その話は一旦置いて3月まで話を進める。3月後半には無事大学を卒業して、その報告をインスタのストーリーに送ったら朱夏に❤️貰えて嬉しいなと思ったのだが、3月28日が決して忘れられない1日になるなんてこの時は全く思ってなかった。
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3月28日。『僕らはジーニアス』のCD特典のスペシャルトークイベントが開催された日。マジでスペシャル過ぎたし、1番最初から豪運すぎたんよね。このイベントは当日に会場でクジを引くシステムで割と最初の方に引けたのだが、その番号が………
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3
もう一度言います。3番です‼️‼️‼️‼️‼️
これを当日にクジで引き当ててしまって、そしてこの番号ということは当然、最前列。。
マジで震え止まらんかった。。そして、開演前から心臓痛くなるぐらいドキドキしてた。
そしてドキドキしながらスペシャルトークイベントが始まった訳だけど、最前列な上に自分の真正面に朱夏がいて。心臓のドキドキと足の震えはどんどん増していった(現地にいたフォロワーさんに「しゅかしゅーに🫰送ってくださいね‼️絶対ですよ‼️‼️」って圧かけられたけど、そんな余裕無かった😅)。
このイベント自体はドキドキしながらも今後が楽しみになるような最高のイベントだったが、これでは終わらなかった。終演で👋ってしてる時に「この後、お見送り会やるよー」ってサラッと言われて、
「………………えっ?????」
と当然なる訳で。お見送りをやるという告知はそれまで一切なくて、何の準備もできていない状態。いや確かに「いつか朱夏と直接お話ししたいなぁ」とか言ってた事はあるけど、こんな急に来るのは聞いてないと。。
ずっと痛かった心臓はますます痛くなり、「何を話せば良いんだろう…」と焦りながら、頭を抱えて。でも、ここで3番最前列を引いた事が良い方向に向かう。というのも、お見送りは一番後ろの列の人から順番に進む形式になって。つまり、3番を引いた私はお見送りの最後の方だったので、少しは冷静になれるだけの時間を確保できた。ほんの少し落ち着いて、一体朱夏に何を伝えようと考えた時に「朱夏に対していつも思っていること、Twitterとかでことばにしてきたことを纏めて、直接伝えよう」という方向に考えることができて。
そして、相変わらず心臓痛かったけど、何とか言いたいことは纏めることができて。ぼくの前で朱夏とお話ししてる人の様子を見てパーテーションがない事に驚きつつも、大体20秒ぐらいは話せることを確認し、早口にならないように落ち着いて喋ることを意識。そしてついに直接朱夏とお話しする番が来た。多少違うところあるかもだけど、大体こんな感じ。
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…………………………………
流石に過去イチ緊張したよ。。
「20秒はいける」と思って挑んでたけど、結局何秒使ってたのか分からない。心臓の痛みも身体の震えも加速した。
でも、、、伝えたいことは全部しっかりと伝えきれた。その高揚感も間違いなく大きくて。今までライブとかでは何度も目があったり、🫰を送りあったり、手を振り返してくれたことはあった👋。でも、朱夏と直接お話しできるって事がこんなにも嬉しい事だとは思わなくて。。朱夏の目をもっと見て話すことが出来れば100点満点だったけど、でも彼女に伝えたいことはしっかりと伝えることができたのは本当に良かったなと❤️🔥❤️🔥❤️🔥
その中でも、
わたしの大好きを直接彼女に伝えることができたのが、本当に本当にほんっとーーーーに‼️‼️‼️嬉しくて。。そして、ぼくの大好きを彼女はしっかりと受け入れてくれたことがもう😭😭😭😭😭
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ホント、斉藤朱夏という1人の女性を推し続けて良かったと思えた出来事だったなと🥹🥹
大学生活最後にこんな大きいものを貰って良いのかなと思えるぐらい、最高の思い出を作ることができて、4月からはじまる社会人生活を頑張る原動力になった❤️🔥❤️🔥❤️🔥
これが自分の大学生活最後のイベントということで、これまでの事を少し振り返った。私は高校生の時に「東京の大学に行って、東京で生活する。そしたら、何かが見つかるんじゃないか?」と、ただそれだけを信じて大学受験を乗り越え、東京の大学に進学する目標が叶って。その先の目標が中々見つからなかったり、ああいうご時世になったりして、思い通りにはいかない4年間の学生生活だったけど。でも、「東京で生活したら何かが見つかる」これは決してかんちがいじゃなかったと、いまは確信をもって言える。だって、
斉藤朱夏という「この人と遊ぶ為にこれからいきよう」と思えるような1人の女性を見つけることが出来たから。
そして、4月へと進むが文字数が2,000を大幅にオーバーしてるので、第5章に続く(誰ですか?第3章が最終章って言った人←←←)