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バタフライで泳いでいたら、溺れていると勘違いされた・・・。

忘れもしない、あれは小学校4年の暑かった夏の出来事でした。

 この頃はバタフライ以外は、ある程度泳げていたのですが、夏休みに入って最初の日に、待ちきれずに友達と学校のプールに行った時の話です。

 去年から少し練習をしていた、バタフライでさっそうと泳ぎ出したのですが、しばらく泳いでいたら、突然「大丈夫か? 君 大丈夫か?」と監視員のお兄さんに僕は担ぎ上げられて、プールの深いところから浅いところへと連れて行かれて、「ここなら大丈夫だから」と言い残すと そのまま監視台に戻って行きました。

助けてくれた・・ん? バタフライで泳いでいたんですけど・・・。

だけど、その監視員のお兄さんの、余りにも真剣な顔で「大丈夫か?水は呑まなかったか?」と、本気で心配してくれている表情を見たら・・・しかも泳いでいたのに溺れていると勘違いされたショックもあり、「泳いでいたんですけど!」
とは言えず「大丈夫です、有難うございます」と、ついお礼を言ってしまった。

勘違いとはいえ、大人の人が真剣に自分のことを心配している、という表情を向けられたら、その気持ちは裏切れないと思いました。

その後も何かと私の事が心配なのか、 その監視員のお兄さんを見る度に目が合うので、他の平泳ぎやクロールとかで泳ぐことも出来ませんでした。

しょうが無いのて、その日は友達を置いて、家に帰る事にしました。

泳ぎたかった〜、夕方まで遊ぶつもりだったのに〜・・・、それにちゃんと息継ぎもしていたし、自分ではまあまあのバタフライだろうと思っていましたから、本当にビックリでしたし、ショックでした。

何とも言えない気持ちのまま、プールからの帰り道に、その場面を思い出してみた時に、確かに泳ぎ出しと助けられた•••うん? まぁいいか、その助けられた場所とは差ほど景色が変わらなかった様に感じました。

下向きに足を曲げた状態で水面に浮き、足でプールの壁を蹴って進み、手で一掻きして、それから足の甲で水面を叩く様にしてバタフライを泳ぎ始めたので、その一連の流れから考えると、その時点で約3Mぐらいの位置だったはず、それから5掻きぐらいした時に担ぎ上げられたのだから、上手く泳げていれば7・8mは軽く進んでいたはずなので、4mぐらいの位置に居たという事は、やっぱり溺れている様に見えたのかなぁ・・・。


朝から汗ばむような、そんな暑い日に、たった30分位しかプールには入っていられなかった・・・・・。


何で最初にバタフライで泳いでしまったんだろう という後悔と、友達には誰にも気づかれなかったという安堵の気持ちとで、複雑なまま、つい数十分前に起った事が、信じられずにいました。


後日、友達から「あの日誰か溺れそうになった奴がいたらしいよ」と聞かされ・・・それ僕だよって言える訳もなく、「へぇーそうなんだ~」と答えて
話を変えた様な記憶があります。

その後も、もちろんプールには行きましたが、あの監視員さんがいた時は、残念でしたけど諦めて帰っていました。


皆さんは、勘違いされたけど溺れていた訳では無いと、ハッキリ 言えば良かったのでは?・・・と思っているかも知れませんが、何が起ったのか分からない状況の中で、「え〜、僕、今泳いでたのに〜」とはとても言えない雰囲気でしたし、もしそんな事を言おうものなら、「フザケているんじゃない!」と逆に怒られていたかも知れません。
 それぐらい、大人の人が見せた真剣さに、溺れていたと勘違いされたショックよりも、その気持ちの方を裏切れないと感じたのではないかと、今では思っています。


私は、ちょうど4年生の時から、学年ごとに行く遠足などで、先生や同級生全員の前で友達と漫才をする様になり、結構喜ばれておりました。


この年は、さすがにショックでしたし、話すと恥ずかしいというのがあったのでネタにはしませんでしたが、翌年の遠足で思い切ってネタにしたら、もう最高にウケて大爆笑だった事を覚えています。


 あれから、何十年も経ちましたが、今でもたまに飲んだ席で、この話をするのですが、そんな時に必ず聞かれるのは、その後、バタフライは泳げるようになったのか、という事でした。


 私自身、負けず嫌いではあるのですが、あれからバタフライが泳げるようになったかどうかに付いては、皆さんのご想像にお任せしたいと思います。


※次回の記事は、飼い主としての責任をまったく果たせなかった私が、愛犬たちへの懺悔の気持ちを書きました。


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