国境やジャンルを超えた表現者:ダンサー 森山未來の果てない魅力
前回の記事、シェルカウイ: 踊りで命を救われた男が、踊りで世界を救おうとしているで、森山未來くんに少し触れましたが「ダンサー 森山未來」について今日は書いていきます。
私は習慣的に美術館やギャラリーなどで開催される展示を見に行くのですが、ここ数年はライブのもの、演劇や舞台、コンサート、そしてダンスなんかのステージパフォーマンスにも足を運ぶようになりました。
美術品との違いはやはりその臨場感。身体で表現することは本当にすごいことだな、と毎回思うのです。そして、ダンスの魅力はその身体性と美しさ。セリフもないので、言葉通り、その身ひとつで表現して人々を魅了するなんて鍛錬とセンスと才能とに惚れ惚れしてしまいます。
すべての表現者を尊敬する私ですが、俳優として活躍している森山未來くんも素晴らしいですが、ダンサーの未來くんはより芸術性を追求した表現をしていてかなり素敵なのです。
私がダンサー森山未來くんを知ったのは、東京都現代美術館での映像作品でした。とても不思議で少し可愛らしいコンテンポラリーダンスの映像作品を見ていたら、外国人ダンサーの中に未來くんがいて一緒に踊っていました。そこから彼に注目するようになり現在に至っているのですが、作品ごとに全く違う表現をするのでとても器用で才能溢れる人だな、と思っています。
いくつか彼の舞台を見ているのですが、新体験をさせてもらったのが「談ス」という公演でした。
シリーズになっていて、今回はその第三弾。私は第一弾と第二弾は見ていないので、実際にはどんな感じなのか知らなかったのですが、見終わった最初の感想は、「新しい体験の不思議なダンス」でした。
フライヤーにあった紹介文は以下。
第一弾では全国北から南まで縦断し、第二弾で名曲ボレロに立ち向かう。
そして今度は…西へ東へ?悩むならいっそ東西なんて取っ払え。走るも逃げるも、それすらまやかし、やかましい。
捨てて閉じれば見えてくる対話と身体、駆使して創作、一喜一憂そのまま舞台にままごとる。
ダンスでなけりゃ格闘技でもなし、ましてや演劇でもない。
相乗効果絡み合い肉体労働か肉団子、運が良ければ肉体美!
それが談ス(かもしれない)
(談スフライヤーより)
この言葉を読んでも何のこっちゃ、ですが公演もそんな感じでした 笑。
公演というかその前から不思議ワールドは始まっていて、通常、何かの公演の前には注意事項のアナウンスが会場に流れるのですが、無味乾燥なアナウンスから楽しませてくれるような「談ス」ワールド全開の演出でした。
本公演の内容を伝えるのが難しいのですが、身体を使った表現で楽しませてくれ、またその美しさに見入ってしまい、たまに入る政治ネタでブラックジョークを、「趣味と芸術」といった難しいテーマを表現するようなものもあったり… と、とても一言では言い表せられない内容です。
3人のかけあいも絶妙であっという間に時間が過ぎてしまいました。新体験をさせてもらった素晴らしい公演でした。
他の公演もどれも独創的で、渋谷のBunkamuraでの「プルートゥ PLUTO」の再演。前回の記事のシェルカウイの演出・振付。
表参道のスパイラルでの「SAL」。イスラエル人ダンサー、エラ・ホチルドと共演で、ジャンルの異なる5名のミュージシャンを招き、その日限りのダンスと音楽のコラボレーション。
イスラエルで初演されたこの作品ですが、彼はイスラエルにダンス留学した経験もあって、そのドキュメンタリーも素晴らしかったです。
(ダンサーについても書いた、私のテルアビブの旅エッセイ"愛と憎しみのコントラストが強い街、テルアビブ"もよかったらどうぞ)
これまでいくつかの公演を観てきたのですが、どれも独創的で芸術性も高く、毎回新しい体験をさせてくれます。
今年はコロナの影響で、舞台などは公演が難しいとのことですが、そんな中でも新しい舞台を上演するとのニュースがありとても嬉しく思っています。
「舞台だけに関わらず、表現したい欲求、見たい、触れたいという欲求は変わらないんじゃないかなと思った。それを信じて無事にツアーを成功させたい」
「今、世界中で置かれている状況で、ある種の価値観が変動したのは間違いない。改めて、どういうふうに生きていくべきなのか。今の状況で、この作品をやる意味が皮肉にも強く出てしまったのではないのかなという印象があります」
「映像作品とは違って、その場所で、そこで出会った人と世界を共有する強さが舞台芸術にはある。触れ合いでしか体感できないものは存在する。より強く感じている。生で出会えさえすれば、もうそれだけで大丈夫、いいんじゃないかと思っている(笑)。もちろん、それだけでなくパフォーマンスを一緒に体感できれば」
こんな言葉を聞けて本当に嬉しいです。
その公演は、『「見えない / 見える 」ことについての考察』。
私たちが本当に見ているものは何なのか。この問いの答えを見つけるとき、選び取ることの大切さに気づくことができるだろう。パフォーマンス『「見えない / 見える 」ことについての考察』は声と残像、そして森山未來の身体を通して私たちに語りかけてくる。
(公式ウェブサイトより)
前回記事で紹介したシェルカウイは、
情報を鵜呑みにして、信じ込んでしまう狂信者がいる
あなたが忙しい1日の仕事を終え、帰宅した夜、テレビをつけ、こう言う。
「今日の話題はこれだな」新聞の見出しを読んで、スポーツ番組を観る。
それこそ洗脳システムというものだ。もちろんそこに真実はない。
真実を探すためには、努力が必要なのだ。
今見ている世界は真実の世界なのか?
と疑問を呈していました。シェルカウイの抱く想いとも通ずるものを感じます。
彼らの疑問をより濃く映し出すかのように、世界規模での現象、コロナ禍とBlack Lives Matterが起こっています。今まさに直面している出来事にどう向き合うか、私も一緒に考えていきたいなと思います。
私は横浜の公演に行くので、久しぶりの森山未來くんの表現がとても楽しみです!
「見えない / 見える 」ことについての考察
2020年10月14日(水)~11月6日(金)