【都市の再発明】~60代からやり直すハコモノ作り~
■変わる暮らし・変わらない都市
「満員電車に揺られて通勤するのが辛い」
「家賃が高くて狭い部屋しか借りられない」
「保育園に子供を預けたいけど、遠くて行きづらい所しか空いてない」
「どこのショッピングモールも似たような店ばかりで飽きる」
普段都市の中で生活していると、様々な不満を抱く。それに対して街作りに関わる行政や企業は単に手をこまねいている訳ではなく、様々な対策を打っている。例えば、満員電車を解消するために列車の本数を増やしてみたり、都心に沢山の人が住めるよう高層マンションを建ててみたり、駅近に新たに保育園を作ってみたりといったものだ。今まで各方面から様々な対策がなされてきたが、不満はましになることはあっても、完全に解消されることはなかった。
<インド、デリーの帰宅ラッシュの風景>
地下鉄が整備され便利になる反面、先進国と同じ悩みを抱えることとなる
一方で、普段の暮らしの中で他の部分に目をやってみると、様々な技術の発展によって、多くの不満がかつてない程解消されていることに気付く。例えば、昔であれば冷たい水に触れながら長い時間を掛けて毎日行う洗濯、釜戸に火をくべ適切な温度になるよう付きっ切りで見てやる必要があった炊飯など、今ではそれぞれ洗濯機・炊飯器を使えばボタン一つで同等かそれ以上の効果を得ることができる。「洗濯をする」「炊事をする」といった暮らしの様々な面が、科学技術の進歩により劇的に便利で楽になっている。それに対して、「移動する」「住む」「子育てをする」などの面では中々不満が解消されていない。なぜだろうか。
■発明は構造から生まれる
それには様々な要因が考えられるが、恐らく大きな要因の一つは、都市の構造がここ何十年もの間大きく変わっていないことである。新しい技術を導入するためには元あるものをそのまま改良しようとするのではなく、ある程度構造そのものを抜本的に変えてやる必要がある。例えば洗濯をする際、昔であれば洗濯板とたらいを使って手でゴシゴシと洗っていた訳だが、同じ動きを単純にモーターにやらせようとしても上手くいかない。そこでたらい、今で言う洗濯槽の下部にモーターを取り付けてそれごと回転させ、渦状の水流を起こすことで衣服同士をこすり合わせ揉み洗いをし、また回転運動による遠心力で脱水をすることを可能にした。また昔使われていた氷式冷蔵庫は、箱の上段に氷を入れ、その冷気で下段に入れた食材を冷やすような構造になっていた。しかし現在の電気式冷蔵庫で冷却をするのに必要な冷却器やコンプレッサー等の機器は、基本的に箱の背面に埋め込まれており、必要に応じてファンによって冷気を対流させるような仕組みになっている。これは、箱の手前側の部分を全て食材を入れるスペースとして活用することで、人が利用する際に最も取り易い位置に食材を置くことができるような構造としたことが理由の一つである。
<坂の街・サンフランシスコのケーブルカー>
「滑らない安全な馬車を作る」という既成概念に捕らわれず、鋼製ケーブルと蒸気機関という最新技術を活かした、全く新しい構造の交通機関が開発された
では都市の構造はどうなっているだろうか。日本の首都圏を見ると、山手線の内側や沿線には基本的にオフィスや大規模商業施設等が立地している。更にその周辺には放射状に鉄道路線が張り巡らされ、中でも交通の便が良く人口集積度の高いエリアにはマンション等の集合住宅が、もう少しゆったりと土地を使えるようなエリアでは戸建て住宅が多く立地している。このような都市の構造が確立されたのは、主に戦後のいわゆるオフィス街で、ホワイトカラーの労働者が集まって働くような社会になってからである。当時はもちろん携帯電話もインターネットも無い時代、社員同士や他社とのコミュニケーションを取ることを考えると、特定のエリアに集まって働いている方が効率が良かった。その一方で、妻は郊外のマイホームで家事育児を担う、といったライフスタイルが定着していった。
時代が進むにつれて、コンピューターの開発に始まるIT技術やAIによる最適化技術など、様々な科学技術が発展してきている。一方で人々の暮らしを見ると、共働き世帯の増加による都心回帰やテレワークの浸透など、新たな行動パターンが徐々に生まれてきている。このようにシーズとニーズの両方から様々な変化が起きている中で、単純に今の都市構造を前提に置いたまま改良を加える方法を検討するのではなく、今の時代に合った新たな「都市」を再発明しなければならないタイミングを迎えているのではないだろうか。
■都市の構造を分析する
今の時代に合った都市を再発明するためには、まず都市というものの構造を分析し、正確に把握する必要がある。地図を見てどこに何があるかを把握してみたり、実際に街を歩き回ってみたりと様々なアプローチ方法があるが、今回は都市経済学における「付け値地代理論」に基付いて簡単な分析を行ってみた。
「付け値地代」とは、ある人がとある土地を何らかの目的のために利用したいと思った時、支払っても良いと思う金額のことである。例えば都心の中心部では、一般に戸建住宅よりもオフィスとして利用したいと思う人の方が、付け値地代は高くなると考えられる。オフィスの場合、より広範囲から労働者を集めることができ、かつ他社との近接性により業務効率を飛躍的に上げることのできる都心中心部への立地を強く志向するのに対して、戸建住宅の場合は通勤が著しく不便であったりしない限り、高額な費用を払ってまで都心のど真ん中に立地したいとは思わないからである。一方で、郊外へ離れるにつれて人口の集積度は低くなり、また交通も不便になるため、オフィスの付け値地代は戸建住宅よりも急な傾きで低下する。やがて戸建住宅の付け値地代がオフィスの付け値地代を上回った段階で、その土地の利用方法はオフィスから戸建住宅をメインとしたものに変化する。
以上の内容を基に、土地利用の種別毎に付け値地代を想定し図化すると、以下のようになる。
こちらの図は戦後しばらくの間の東京を想定したものである。戦後の東京では、公的機関や企業のオフィスなどは丸の内や大手町、日本橋のあたりに集中している。一方江戸時代に宿場町として栄えた新宿では、ようやく繁華街が形成され始め、商業地としての利用が始まった頃であった。
<中国最大の経済都市•上海の新都心、浦東新区>
旧来の都心エリアから黄浦江(上海市内を流れる川、写真手前)を隔てた反対側に位置する。1990年頃から川の下に何本ものトンネルを通し交通利便性を向上させ、域内には第三次産業を意図的に集積させた。
やがて戦後の復興と経済成長が進む中、過密状態が限界に近付いていた東京の都市構造を改善するため、1956年に首都圏整備法が制定された。1958年には池袋・新宿・渋谷を副都心として東京の都心機能を分散する内容を盛り込んだ、第1次首都圏基本計画が策定された。
池袋・新宿・渋谷を筆頭にいくつかの副都心を環状に鉄道で繋いだ都市構造は、上図のように表現することができる。多くの労働者にとって利便性が高く、かつ他社との近接性の高いエリアは、物理的な近さだけではなく交通利便性によっても大きく左右される。やがて人を大量かつ高速に輸送することのできる山手線沿いの都市に、多くの企業や公的機関が立地することとなった。対して山手線の内側の地域では、オフィスに限らず商業施設や住宅が多く立地しているようなエリアも多い。交通インフラの整備状況によっては図のように、都市の物理的な中心部における付け値地代が、必ずしも最も高くならないこともある。
■都市構造をゼロから再構築する
今まで人々の暮らしを豊かにしてきたあらゆる発明品がそうであったように、都市を再発明するためには様々な案を検討し、試行錯誤を重ねる必要がある。今回はその一つの案として、子育てのし易さに着目した新たな都市の構造について考えてみた。
近年のライフスタイルの中で大きな課題の一つは、夫婦共働きで勤務地が離れていた場合、どこに住んでも通勤時間が長くなってしまうことである。年々深刻度を増している少子化問題を少しでも改善するためには、働きながら子育てをし易くする環境を整えることが重要だ。しかし、男性は会社で仕事、女性は家庭で家事育児、という生活スタイルを前提とした従来の都市構造のままでこの問題を解決するには限界がある。
そこで企業のオフィスが集中するエリアを更に郊外へ移し、都心の中心部を居住をメインとするエリアとしてみてはどうか。するとこのエリアに住む共働きの子育て世帯は、たとえ両親の勤務地が離れていたとしても、どちらかが極端に長距離の通勤を強いられるようなことにはならなくて済む。都心の一番中心には自然豊かで広々とした公園を配置し、その周辺に幼稚園や学校を集中的に立地させることで、通学・通園の労力を減らすと共に子ども達は伸び伸びと広い場所で遊ぶことができるようになる。
また環状のオフィス集積地から更に外側のエリアでは、ゆったりとした土地利用と共に家の広さを確保し易くなる他、オフィスや商業施設が集積している地域へより短時間でアクセスできるようになる。
■そろそろ都市を再発明しよう
上記の都市構造はあくまでも一つの例でしかなく、これで暮らしに関わる問題が全て解決するかと言われるとそういう訳でもないだろう。また現在のライフスタイルに完全に合致した都市構造をゼロベースで検討したとして、今現在都心部にオフィスを持つ企業や、マイホームを購入した住民に対して、一方的に都市の計画を変更して立ち退きを求めるのは非現実的である。
しかしこのまま部分的な改善を続けるだけでは、暮らし易さや生活水準の向上などがある程度のレベルで頭打ちになり、結局は社会全体にとって不幸な形となってしまう恐れがある。現代の人々がどのような暮らしを望んでおり、どのような点に不満を持っているのか。またそれらを達成・解決するために、どのような技術を導入して、どういった都市構造を実現していくべきなのか。住民や行政、企業が長期的な目線で模索し、共通のゴールを見据えた上で、少しずつでも前に進んでいく必要があるはすだ。
江戸城の東側の地域を起点に発展を続けてきた東京の街。1958年に渋谷•新宿•池袋を加えた新たな都市構造が計画されてから、今年で63歳である。「ハコモノ」と揶揄されることも多いインフラ整備ではあるが、ある意味最も巨大な「ハコモノ」である都市というもののあり方を、今一度改めて考え直していかなければならない時期に来ているのではないだろうか。
<空から見た東京臨海副都心>
今でも開発は続き、東京の街は変わり続けている。