よくわからないを考えてみた
大阪都構想の議論がまた盛り上がる中
コメンテーターやらが
「都構想がまだよくわからない」
「もっとわかりやすく説明をしないと市民は理解しない」
そう、言いますが
ふと、「よくわからない」について考察してみた
まず、都構想については
もう、かなりの長きに渡り話題になり議論もされてきた分
かなり理解しやすくなってきているかと思うし
実際に、2人の首長が足並みを揃えた事による体感はあるかと思う
ただ
単純に未来は経験した事がないから
そりゃ、理解はできないよね
決め事は作っても
実際の体感は想像でしかなく
また、その想像はその人それそれの思想によっても大きく変わり
また想像力はその人の力量でもある
「よく分からないから反対する」
ただ、ただ、想像力の乏しさと
「よくわからないなら」反対にと
推し進める人達は
そのわからない、理解できない人達の力を封じ込めている
ある意味マウント的な行為をしている
私達の団体の活動も
「よくわからない」と言われる事がある
私の活動の基本は
尖らない事に尖る
そして、自由に使ってほしいと思っていて
尖らない、何かに特別に特化しない事
どんな時代にも、どんな社会や環境でも
前にすすむため
たえず変化し続けるため
基本のベースはある
あとは、人それぞれが
そのベースのどこかにリンクし
それをみずからの想像力で
楽しんでもらう
ただ、やはり
その想像力が少なくなってきているのが
今の大人社会
いや、でも、
ここ最近
何がしたいの?ではなく
「楽しい。」
そう言ってくださる人が増えてきた
で、不思議な事に
その人達は
理解を求める事なく
そのまんま、する~と入ってきてくれる
そして、そこで自由な動きが
はじまる
与えられる事に慣れすぎた
今の大人達
確信のない未来に
「よくわからない」ではなく
想像力を働かし
その想像力で判断してみては
ちなみに
このタイミングで
「大阪都構想はよくわからない」からNOというコメンテーターや
街で政治的議論をする方の
人としてのなりを想像してしまう
長く生きた大人なんですから
わからないではなく
考えた持論を話し合おう
選挙に行かない
その若者達を作り出したのも
その「よくわからない」からだと気付こう
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