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違いを知る凸凹を知る 〜母の声編〜

なんやかんやと、よく自分を見てる存在。親。
何歳になっても、子どもは子ども。
そんな親の声は、いろいろヒントになるのでは。

みなさんは、仕事や転職のことなど、親と話しますか?
反感、反発含めて、ヒトとの違いを知る自分確認のこと。大事だなって思ったことを。

凸凹のカタチ、どこまでリアルに具体化できるか?

真逆の存在 田舎の母娘呪縛

わたしは、母とそんなにツーカー仲良し親子ではない。
関東地方の、田舎の長女長子。1人娘(母)の初孫特有の、家だの地縁だのの呪縛がつきまとう育ち方だったと思う。
家柄はバブル景気でやっとこ中流の下の、貧農の末裔。祖父母に育てられたこともあって実年齢より経験思い出が、ふた昔くらいズレてます。

幼稚園時代の思い出のおやつが、裏でとってくる筍だのむかごだの、あけびだの。夏は畑の土の匂いがする生温かいトマトや、味噌つけたキュウリ、茹でたとうもろこし。
銀杏は神社(しかも小学校の校庭にある)で臭い実を拾ってきて、洗って干して食べるもの。石油ストーブで干し芋や銀杏を焼いて食べる、冬。
そこに母の姿は無い。(共働きで祖父宅にずっと預けられてた)

さといもを、ふかして塩で食べるのが好物でした!
まだギリ三十路のアラフォーですよ。

母と真逆の存在、それがわたし。
慎重で保守的で、親の願うレール通りに家から出ないで育った母。
好奇心の塊で、人見知りも物怖じもなく、事後報告で“糸の切れた凧”をしてきたわたし。
それでもまあ、いわゆる非行的なことや、大々的反抗期もなく(そもそもナチュラルに母に反したことしかしてなかった説)、イイコだったと思いますよ?

そんな産んだ母に、8歳で「お母さん、あなたのことがわからない」と涙され、「宇宙人」と認定されていたので、「Go Home」な生き方になるのはやむ無し。

ずっとどこか、「ここじゃない」感や「普通にしてると損をする」感が根強く、男兄弟がいない以上はいつか自分が墓守をしないとならんのだな、と悟ってた。
早くその前に外に出ないと、死ぬ!とさえ思ってた。
そんな大袈裟な、誰だって思春期は大なり小なりそう思ってましたよ、と思われるかもしれないが、アムラーが田舎ですら闊歩する高校生の時代にも、「女の子は大学なんか行かなくていいんだよ〜」な世界。
新興住宅地に転入してきた友達の家はそんなことなかった。小中ともにお受験してたよ。

そんな真逆の人の声

①早く帰ってこい期
東京で就職して暮らす娘に連日、メールで呪詛が届く。いや、本人にしたらめちゃくちゃ心配で、愛なんだけどね。

『早く(地元に)帰ってこい』
『最低限生活できればいい仕事で、家庭を守れることが幸せだ!』
『早く結婚して孫を見せてくれ』
『体力のある若いうちに産んだ方がいいから、』
『一生そんな働き方(好きなこととはいえオーバーワーク、土日らしい土日無し)できないからね』
『そんなの(好きなことして、好きな場所や人を訪ねる)仕事じゃない、世間じゃ無意味よ』

今振り返ると「そんな働き方」をずっとするのは無理ってことは、人生の先輩談としてその通りである。
結婚して子供を産んで、親に預けて働いていた彼女は、生活のためにしていたのだな、と強く感じた。仕事好きじゃないのに、私たち子どものために働いてくれていた。
だからだろう。仕事は苦役前提。

②結婚後
過労で死にかけたのち、結婚しまして。LINEというものがこの世に登場しまして。メールより気軽に愛がピコンピコン届く。

『仕事ばっかり優先してると、旦那さんに愛想尽かされるよ』
『あなたたち子どもはどうするの?旦那さんは納得してるの?』
『また倒れるような働き方してるんじゃないの?』
『毎週毎週、家どころか都内にも居ないなんて!』
『みんなに合わせて動きなさいよ、勝手なことばっかりしてるといつか刺されるよ』
『あなたは夢中になると、人の10倍の勢いで走ってっちゃうから、ダメなのよ』

刺される世界に生きてるのか、母。そりゃツラいし、心配になるなぁ。
幸いなことに、わたしの働いていた世界は、刺されるわけがなく、ただ「ご自由に〜」だった。
猪突猛進時々曲芸癖は、母にも明らかだったんだなぁ。

③三十路を折り返して
いろいろ彼女も悟り、諦めてきた模様。オンナノシアワセについては言わなくなった。
転職を報告した時、転職そのものは賛成されたが転職先は否定だった。
そして、①のように「早く辞めてしまいなさい」が決め台詞になる。そこはまだ悟りに遠いらしい。

『あなたは人と考え方が違いすぎるから、それを押し通してくのは大変すぎる』
『いつまでも夢みたいなこと言ってないで、大人になりなさい』

これよく言われる。
三十路を折り返してとっくに大人だと思うものの、精神年齢が伴ってないんだろうな。
見えてるより、かなり考え抑えて引っ込めてたので、これ言われると「そのまんま押し通そうとしたら、どうなるか」と苦笑い。

④そして、今回
離職前は「次なんかどうにかなるから、さっさと辞めて」と言っておられたが、次を決める前に辞めたら「どうやって暮らしてくの、大丈夫なの?家賃払えるの?帰ってきたら」(離婚はしてませんよ?)に急変したのは予想通り。

『そんな都合いい生き方、できると思う?』
『今はそんなんでもいいかもしれないけど、老後どうするの?』
『フリーターじゃ、老後困るわよ』

ネガティブな発言も、赤裸々にあえて書き出しましたが、似たようなこと言われる同世代多いのでは?
親と四半世紀ほど時代はズレてる。
言われて落ち込んだり、暗い気持ちになったり、傷つく人も少なくないかと。特に女性。
オンナノシアワセ話とか。出産とか。家庭優先とか。

クソクラエですよ。失礼、言葉が汚くて。
でももっかい書きますね。
クソクラエだ。くだらん。
親世代の言い分もまた正しく、それを望む人にとっては真実だと思うし、それでいいんだ。
そのことを否定したいわけじゃなくて、「そうしたいかどうか」で立ち位置、世界が違うわけです。

ひとつは、時代が違う。
親世代にとっての「王道の正解ルート」は現代では希少、かつ、そのまま正解であり続けられる確率が低い。
大企業でも、倒産までせずとも統合再編伴う人員整理や10年前には片鱗すら予想できなかった事業への進出・転換。
社会そのものが激変しまくり、レールを作りながらのジェットコースター化。

大企業で正社員にさえなれば
そこで出る杭にならず最低限粛々とこなして“我慢料”として生活費をもらっていれば
納税や年金保険納めていれば、老後も安泰!

んなわけない。どこのタラレバ人間だ。

そんな母でも認めてくれてる娘の強み

悪口言いたかったんじゃなくてね。
そんな時代も違う、性質や価値観も真逆の存在。
その母が、諦めたようにため息をつきながら、曰く。

『まあ……あなたなら、結局どうにかしてしまうんだけどね』
『あなたが望んで、願って、走り出したら、もうそうなるしかないし』
『あなたはキャリアがあるから、どこかにご縁もらえるといいね』

キャリアなんて言葉を言い出したから、ビックリした。
思わず、「キャリアなんか、業界も職種も、違うところに行こうとしてるから、リセットだよー。たいした専門性もなく、何でも屋さんで、キャリアらしいものが無くて。キャリアなんか無いから、できること、やれることをやりたいことに近づけるようにひたすらやるだけしかない」とボヤいたら。

『キャリアがあるってそういうことだと思うけどな。経験。あなたは経験値が多いじゃない。
頼まれたりすることを、できません、やりたくないですとか、わたしの仕事じゃありませんって言わないで、「まー、やってみます」ってやる性格。いろいろ損もしてると思うけど、キャリアになってるから、いいよね』

何でも屋さんもまたキャリア。
この性格、猪突猛進時々曲芸も、キャリア作り。

親の贔屓目、親馬鹿なだけかもしれないけども。
たしかに会社やチーム、全員が専門家、あるいは母のような「レールを丁寧に、精度高く進む」人だけ、では進まなくなることもあるだろう。
逆にわたしみたいなのしか居なかったら、てんでばらばらに不安定に浮き沈み激しく、組織維持が困難すぎるパルクール。

やっぱ凸凹を上手く組み合わせて、いい感じに成り立つように、自分の凸凹のカタチはいろんな角度から眺めて具体的にしていこう。

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