Me, Myself & I
グレーな自分を白でもなく、黒でもないグレーとして受け入れてくれる仲間。
僕はフィリピンにある児童養護施設を支援する団体「パラサイヨ」に所属している。パラサイヨは現地の言葉で”あなたのために”(For You"を意味する言葉だ。
そこでは年齢、仕事や役職など関係なくフラットな関係性が文化として根付いている。
5年目でも二ヶ月目でもいい意見は通り、そうでないもの消えていく。
そこでは僕はSteveでいられる。
当たり前のことなのかもしれないが、それまではあまりできなかった事。
きっかけは2005当初に流行っていたSNS Greeである記事を読んでから。
当時の自分は広告代理店勤務のしがないサラリーマンだった。
週末にバレーを楽しむぐらいで、特になんの趣味もなく地味に暮らしていた。
ちなみに当時はSNSはFBよりもMixiが全盛でGreeは二番手って感じだったかな。ある日、暇すぎていろいろとGree内で検索をして記事をみていた、その時にたまたま検索したワードが【ゴスペル】。
特にゴスペルが好きだったわけでもなく、何かでみたわけでも無いがその時なぜか頭をよぎったのであろう。その結果、その団体のメンバーが投稿して記事を読んで興味を持って連絡してみる。
今、考えても自分らしく無い行動。知らない人に自分からコンタクトなんて、よほど疲れていて判断力が落ちていたのか、何が自分をそうさせたのかいまだにわからない。w
これも前回の記事同様に”なんとなく”だと思う。
そのゴスペルイベントはパラサイヨが主催しているチャリティイベントで、確か800人動員可能なホールでのゴスペルコンサートだった。
参加型のイベントってこともあり、事前に練習会がありその練習会後に
パラサイヨメンバー(パラメン)と飲み行く機会がありそれをきっかけにmtgなどに参加するようになる。
Me, Myself & I
飲み会はとても楽しく、あまり違和感がなく迎えれてもらったことを覚えている。パラメンはバックグランウンド、年齢などがバラバラ、ただフィリピンにある児童養護施設を支援するってってゴールは同じ。だから僕も”Steve"として受け入れてもらった。
表現がとても難しいがよく知らない団体に行くと悪気はないのは理解しているが”ハーフの”や”外国人の”などの言葉が名前の前に着くケースがあるがパラサイヨで経験しなかった。
それ以外にあまり特徴がないので仕方がないが、その事で自分の中で壁を作ってしまっていたのかもしれない。やっぱり、白や黒ではないってはっきりさせたい人が多いんだなと思ったし、得体のしれないものは敬遠されるんだな〜って。
だから、できる限りどちらかに自分を寄せることも多かった。
でも、パラサイヨではSteveでよかった。名前の前に特に何も付くことがなかったしそれが心地よかった。
いま振り返ってみると当初はその環境になれず、どうよって振る舞えばいいのかわからなかった時期がしばらく続いたように思う。すこしずつ、環境にも慣れてきて議論に参加したり、自分の意見を言えるようにもなり。
リーダーなどもやるようになっていた。今、僕が困って誰かに助けを求めるとしたら、間違いなくパラメンだ。
パラメンはどこか戦友みたいな思いなのかもしれない。だからこそ、彼らの前では自己表現ができるのかもしれない。
しかし、ここまで書いていてなんだがパラメンにもおそらく3、4割も自分を出せていない。笑
あくまでも”今”の話で現在進化中の身、これからは変わっていくと思われる。
そもそも、みんなは自分を100パーセント表現できているのか?
ブーメラン
パラサイヨの所属してなんだかだで10年以上がたち、子供達の事や僕たちのイベントに参加してくださったみなさんの事を考えてきた。団体名でもあるForYouとはを常に念頭にいろいろと試行錯誤してきた。
一通りグループのリーダーやみんなの支えもあり、団体の副代表などを経験して気が付いた事がある。
団体名であるFor YouのYouって自分の事なんだなって。生意気にも僕は誰かのためにやっていると思っていた。どこか驕っていたのかもしれない。
結果として、団体に所属していろいろと経験した事は自分のためになっている。仲間との議論や物事を作っていくプロセスなど、あげるときりがない。そもそも、パラメンと言った存在や支援先の子供達がいあなければ今の僕はいないと思う。
It's never too late to say too late.
これから、僕には珍しく自分のやりたい事に挑戦する。聴覚障害者向けのサービスだ。これまでの職業は成り行きでついた職がほとんどで、これをやりたいと思ってつた事がない。それはおそらく、自信がないあわられだと思う。
この決断に50前にしてやっとだどりついたが、今までの経験がなければやることの意味を持てなかったと思うし、決心もつかなかったと思う。これからって意見もあるのだと思うが、そもそも”普通の人生”のレールに乗っていないので、今更来年には50代になるしそろそろ落ち着こうなんて考えはない。
死ぬ時に自分が納得いく人生を歩みたい。誰かにそう言われるのではなく。
相変わらずまとまりがない文でを最後までお読みいただき、ありがとうございます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?