見積もり50万円のカナダセカンドワーホリが15万円になった話 1/2
はじめまして。アラサーの山田です。
この記事に辿り着いたインターネット漂流者の皆様こんにちは。
そしてこんばんは。山田と申します。
ここに辿り着いたということは、皆様カナダでのセカンドワーホリについて気になっている故なのでしょうか。もしくは初耳の方も多いのでしょうか。オーストラリアのセカンドワーホリは有名で情報は溢れているけど、カナダに関してはとにかく知られていない。情報が少ない。日本語も英語も。
そもそもセカンドワーホリとは何ぞや?
セカンドの前に基本のワーホリのおはなしを。
仕事も落ち着いたしちょっと一年くらい海外でワーホリとかしたいぜと言うオーバー30の皆様。もうすでにカナダにワーホリいっちまったけど、Tim Hortonの薄いコーヒーを毎朝飲むためにもう一度カナダでワーホリしてぇんだよ!っていう皆様…
朗報です。
条件はいろいろありますが、結論から言うとあなたも可能ですよ!
それがセカンドワーホリ、正式名称ROワーキングホリデーです。
高いの?安いの?条件は?エージェントは?…疑問は尽きませんよね…
実際私もいろんな手を駆使して人づてに聞いたり、パソコンと数十時間睨めっこして目が血走りながら情報を探したもんです。
そんなわけで、先日セカンドワーホリの申請を完了した私の経験を書いていこうと思います。
コロナ禍とワーホリ期間がダダかぶり
私は2020年に初めてカナダでのワーホリをスタートしました。
無事にすぐ仕事も見つけ、順風満帆と思われたバラ色のカナダギリホリライフでした。憧れの緑エプロンのカフェで働き、完全英語環境を手に入れた私はこのまま1年間このキラキラライフが続き英語もペラペラになって帰国して、TOEICは990点。帰国後は英語が抜けないやら、これだから日本はダメなんだよね。などと北米と日本を比較しては日本をdisする黒髪ロングのポカホンタス女になって、外資系企業に転職したりなんかちゃって。なんてバラ色なんだ!
という妄想も束の間に私のキラキラカナダライフは初動3ヶ月もいかないままどん底へ。そう!コロナ!COVID-19!
仕事は解雇になり、レストランもバー、公園までもクローズし、外に出ることさえも制限された私の一生に一度のワーホリはバラ色どころか無職透明(無色透明)の生活へと変貌してしまったのです。
誰とも話さない日々、唯一外に出て喋るのは限られた時間に行くスーパーの店員さん。でもマスクのせいでさらにわからない英語…唯一覚えた英語はソーシャルディスタンスとアンチマスカー
唯一の楽しみはベランダでの日光浴とサイクリング…故にしまいには母国語さえも忘れてしまう始末。デュフ…
このままでは…いけない!
アラサー。周りの友人たちが結婚、昇進、出産。
普通と言われる人生を着々と上り詰める大事な時期に私はひとり腹を括ってカナディアンドリームをつかみに来たのに。くそう!
そうだイミグレ(移民局)にメールして同情して貰えばワーホリの期間を伸ばしてくれるかも?山田は同情作戦を決行することにしました。
なぜなら、当時、友達の友達の友達の中国人がこの同情作戦でビザの期間を伸ばしてもらえたと言うのです。そんなアホな。同情を買うだけでビザを延長できるなんてそんな夢のみたいな話あるかいなと思いつつメールを入れました。拙い英語でね。
こんな感じで送りました。
すみません。完全意訳です。もっと真面目に送りましたが、心の中はこんな感じでした。
このメールを送ったコロナ禍初期、カナダ国民皆仕事が解雇か休みか暇になっていたので、普段まっっっっったく返事の返ってこないイミグレから瞬殺で返事が。
おわた\(^o^)/
そんなうまい話あったらこの国終わっちまうよね。大体友達の友達の友達は他人もしくは存在しないんだよ。みんな気をつけてね。
おわりました私のワーホリライフ。
憧れのポカホンタス女にもなれないなんて…
カナダでもセカンドワーホリができると知った
そんな虚無生活に一筋の光が。
掛け持ちで働いてい日本食レストランで出会った明らかに怪しい20代前半の若者、通称ヒッピー君
「俺、セカンドワーホリなんすよ。」
え!何それ。ワーホリって人生で一回じゃなかったの?
セカンドワーホリ ってオーストラリアだけかと思ってたけど。
ヒッピー君曰くカナダがとても気にいって(色んな意味で)どうにかもう一度自由でいられるビザでカナダに滞在したいと言うことで辿り着いたのがこのセカンドワーホリだったらしい。
「俺、このビザに60万払ったんすよ。しかも英語の面接まで受けたし。」
えーまって。2回目のビザの申請だけで60万円!?
どうやら中級の英語力に面接まで必要らしい。
うーん。さすがヒッピーなだけあってやることもぶっ飛んでるなあ。
私はヒッピーではなくポカホンタスを目指してるからこの選択肢はないかなと、右から左へ流したのであった。
元気かな。ヒッピーくん。
まだカナダにいるのだろうか。
その数年後私はセカンドワーホリビザを申請することになるのである…
人生で一回のみ?悔いの残るワーホリ生活
一時期はレストランやバーでも野外のテラス席での飲酒や食事しか許されておらず、マイナス気温のなか凍えながら意地でクラフトビールを飲んだ日もありました。
レストランやバーはワクチン接種者のみしか入店できない期間もあり、一人ひとりQRコードで管理されていたため、自分がまるでロボットか何かになってしまったかのような錯覚にさえ陥りました。
コロナ禍でさまざまな制限はあれど、さすが多種多様な民族が集まった国!日本よりもはるかに早い速度でコロナ禍での制限が解かれていったのでした。マスクもすぐしなくなったな。
数ヶ月で私も仕事にも復帰して、ロックダウンとオープンを繰り返し混乱する街に惑わされながらも淡々とこなす日々の中でふと気づいた。
あれ。ワーホリ終了まで残り数ヶ月しかない!
これからどうしよう?
思っていたキラキラライフは?
やりたかったことの30パーセントもできてないんじゃない?
このまま帰ってもポカホンタス女どころかルー大柴にもなれないのでは。
そして本来、毎日キラキラパーティワーホリ生活のはずがほぼロックダウン引きこもりカナダ生活となってしまった、特殊オブ特殊なワーホリが終了。
私はただただ心残りを感じたのでした。
まだ…ここで生活したい!
ここでほぼ1年越しに思い出したヒッピー君の言葉。
「俺セカンドワーホリなんすよ。」
そうだその手があったか!
次回は具体的にどのようにして50万円が15万円になったのかお話します!
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