社会問題に関心を持ったきっかけ-岬を読んで(僕が地域活性団体を立ち上げようと思った理由。その1)
既にSNSの告知などを通して、知っている方もいると思うかもしれないが、僕は、まちづくりや地域活性に興味のある若い世代を繋ぎ、未来の日本について議論・共有していく、新しい団体を立ち上げることにした。
最近、蓑田道は何をやりたいのか、またどこに向かっているのだろうか??と思っている人がいるかもしれない。正直、自分でもよくわかっていない部分もある。
だから、僕の頭の中の整理も兼ねつつ、僕が新しく立ち上げる団体について、なぜこのような団体を立ち上げようと思ったのか、僕が今考えていることや、中学生のころに参加した政治活動の経験や、そのきっかけなども記しておこうと思う。
※ここでの記事の内容は、新しく始める団体としての見解ではなく、あくまで僕個人の「まちづくり」「地域活性」に関心を持った理由です。
まずは、主に以下の4回に分けて書いていく。
1. 社会問題に関心を持ったきっかけ-岬を読んで
2. 成田闘争を学んで気づいたこと。-教科書に載っている問題は他人事じゃない。
3. デモの主催者側になって気づいたこと-デモで変えられることと変えられないこと。
4. 国の最小単位としての「まちづくり」と地域同士の繋がりを通して社会を変える。
僕が社会問題に関心を持った最初のきっかけは、小説家「中上健次」の芥川賞受賞作品「岬」という小説を読んだことにある。中上健次は熊野地方(紀伊半島南端部の地域名)出身の小説家だ。同地域の被差別部落出身、複雑な家庭環境で生まれ育ったのだという。
中上健次は、自身の生まれ育った被差別部落を「路地」と表現し、路地の中にある共同体を中心に「紀州サーガ」という独自の世界観を生み出した。
そのような自身の体験を元に、「岬」では、熊野の「路地」を舞台に、複雑かつ混沌とした家庭環境や血縁関係、主人公の葛藤や衝突が、生々しく書かれている。
その「岬」と出会ったのは中学2年生の頃だった。それまでゲームしかしていなくて、読書など全くと言って良いほどしていなかった僕にとって、「岬」との出会いは、僕の人生に大きな衝撃を与え、カルチャーショックを受けた。
この時始めて「被差別部落」といった単語を知理、「路地」のことやそれ以外の様々な社会問題について、能動的に学ぶようになっていった。その中で、「成田闘争」のことを知った。
つづく。