過去のはなし、よん
中学校のときのはなし。
私の通っていた中学校では、体育祭の時のクラス分けゼッケンのデザインをクラス内で募集・選出するという伝統があった。
たしか、強制参加。それが美術の授業の一環だったのだと思う。
あ、夏休みの宿題だ。
そうして書き上げたものを、先生が独断と偏見(そう、独断と偏見だよね)でなんこか選出して、そのなかで、多数決で決めるのだ。
わたしは、その先生の独断と偏見のお眼鏡にかなった。
給食の配膳の時間に、黒板に、ゼッケンがはりだされた。
このなかでひとつ、選びましょう。
わたしのゼッケンがはりだされてる。どきどきした。
選ばれるかもしれない。どきどきした。
名前は公表されていない。
公表されなければ、わたしのが選ばれるかもしれない。
(当時私は、いわゆるいじめをうけていて(いじめなんですかね、まあとりあえずよくある地味な子で近寄らないでくれ的なやつです))
名前なんて明かされたら、きっとわたしのゼッケンは選ばれない。
どきどきした。どきどきした。
配膳の仕事のないクラスメイトが黒板の前でゼッケンをながめる。
これだれの?私のじゃない。
クラスの男子のひとりが、わたしのゼッケンの前に行く。
ゼッケンの裏には、それを作った人の名前が書いてある。
だって、宿題だもの。そうしないと、誰のかわからないもの。
男子が、ゼッケンをめくる。
「むちこのだった」
はずかしかった。と、思う。たぶん。
そのあとのことは、やっぱり覚えてない。
私のゼッケンが選ばれなかったことだけ、覚えてる。
わたしのつくったものは、選ばれない。
”わたし”がつくったと知られなければ、選ばれるかもしれない。
”わたし”だからいけないんだ。
そんなの、そんなのって、ないよ。
もしかしたら、描いたのが”わたし”じゃなくても、選ばれなかったかもしれない。でも、でも。
私の中での真実は、こうなんだ。
そう、ああいうのは、なにごとも、人気投票。
人望がない人は、スターでなければ、
人気者でなければ
選ばれない。