むちこ

むちこの徒然日記。

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マガジン

  • わたしとかずたま

    やまと式かずたま術をやり始めた経緯から今までを、 フィクションとノンフィクションを織り交ぜながらの物語にしました。

最近の記事

たぶん、たぶん、たぶん

人に触れたかった。 愛を思う存分伝えたかった。 たぶん、人の身体に触れるのが好きだ。 きっかけはたぶん、 劇団仲間の手のマッサージをしたときだったと思う。 たぶんその時に、人に触れるの好きだな、と思っていた。 その後、時は流れて タイ古式マッサージを習ったり 腸もみを習ったりして それはそれで楽しかったのだけど 当然のごとくいろいろか手技があって、 それをやらねば、みたいなとこがあって、 たぶん相手の体に集中しきれてなくて、 なんか、たぶん、どこかで もっとゆっくり相手

    • 決めるのは本人なんだよね

      相手が親であっても、 何者であっても、 その人の人生に関与できるのは その人だけなのだ 鑑定士仲間が、 自分の子供の進路を一緒に考えてほしい、 と、盤を持ってきた。 ここがこうで こっちはああで そっちはそれか じゃあこうはどうだ それならこうか みたいな話をひとしきりした後 「でも、決めるのは本人なんだよね」 というところに着地した。 その子の設計図が 「あんまり人の意見きかなそうw」 というのもあるのだけれど(笑)。 たとえば、 「やりたいことが大事!」とされ

      • カフェオレが飲めなくなった日

        変化というものは 振り返ってみて「変わってたな」 と思うこともあるし、 意識的に「変えよう」 とすることもあるし、 突如としてくる場合もある。 わたしはブラックコーヒーが苦手で 基本的にコーヒーが飲みたくなったら カフェオレか、ミルクを入れるかのどちらかだった。 もちろん砂糖入り。 けれど、少し前から カフェオレを飲んだあとには必ず 胃が張るような違和感があり、 胃の調子が悪いのかな? と思いつつも カフェオレが飲みたい欲は止まらなかったため 様子をみつつ、飲み続けていた

        • 正当化するな、免罪符にするな、使われるな、使え。使って使って使い倒せ。誰かになるな誰かで暇をつぶすな自分を生きろ。

          もう脳内では炭治郎くんもしくはエレンが「逃げるな!戦え!!」って叫んでるんですが(笑)。 そんな勢いのままに綴っていきます。 わたしの嫌いな言葉はまあいろいろあれど 「××だからしょうがないよね!」 って言葉があります。 (「二度手間」も嫌いです) 「B型だから仕方ない」 とか 「しし座だから仕方ない」 とかです。 これを自称として使ってる言葉が嫌いです。 他者評価としてならセーフ。 まあ私も使うので 完全棚上げでの発言になりますが。 かずたまをやってる理由はいろいろ

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        • わたしとかずたま
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        記事

          "感情を感じきる"ということ

          「感情を感じきろう」 という言葉を、ここ7・8年で聞くようになった。 もっと前からあるのかもしれないけれど、 わたしの世界にその言葉が入ってきたのが それくらいということだ。 感情を感じきろう。 というのがふんわりしすぎていて わたしはいままでピンときていなかった。 まあたぶん正解も不正解もないんだけれど、 やってみたからと言って 「だからなに?」 みたいなことが往々にしてあったのだ。 これだ、と思えるような体験をして、 そしてそれを言語化できないか。 と思い続けて数年。

          "感情を感じきる"ということ

          わたしにとって絵を描くことは、わたしにとっての「芸術」だったのだ。

          このあいだ、 夫の勧めで初心者向けのニーチェの本を読んだ。 ら、そこに、 「芸術こそ至高!!!!!!」 みたいなことが書いてあって。 まあ、なにかっていうと 誰かと比べるんじゃなくて 自分のなかだけであーでもないこーでもないってやってる時間が一番最高だよね、みたいな話なんですが。 いまでこそわたしは、絵を「仕事」のひとつにしてますが、 25くらいまでは「絵を描いてるぜェ!!!」 みたいな感じじゃなかったんですわ。 わたしのなかにあるのは 「自分の脳内の萌えをいかに

          わたしにとって絵を描くことは、わたしにとっての「芸術」だったのだ。

          愛は。愛はどうだ

          数十年生きていれば、 忘れられないフレーズ、シーンなどがあるもので。 わたしが洋画『RENT』に出会ったのは 大学1年生のとき。 正確に言えば、歌を聴いた。 わたしの所属していた放送部は、 ラジオDJをスタンディングでするという スタイルがうりだった。 自分たちの主張と、語りと、曲。 とある先輩が紹介されてたのが、 『seasons of Love』。 前後の文脈もなんも覚えてない。 けれどその先輩がピンスポの中 「愛は。愛はどうだ」 と、放った。 そして流れる『se

          愛は。愛はどうだ

          どんななにかがあったとしてもやりたいことをやらない理由にはならないのだ。

          むちこ@京都ですこんばんわ。 ほとんどの人に言わず京都におります。 言うタイミングを逃しただけなんですが(笑) ㅤ なぜ京都にいるのかと言いますと ㅤ むちこ、踊る。 ㅤㅤ そしてこれもたぶんほとんどの人に言うたことないと思うのですが 実はわたし踊るのが好きなんですね。 踊るって言うてもあれなんですよ、 ダンスの経験もないし だれになにを習ったわけでもないし ただ流れてる音楽のままに身体を動かすだけなんですが まあそういう「踊る」が好きなのです。 ㅤ 先日、某友人から、お

          どんななにかがあったとしてもやりたいことをやらない理由にはならないのだ。

          なんもきかんと、そばにいて

          突然だけれど、わたしはわりとなんでも解決したがりだ。 気が短い。 白黒はっきりさせたい。 みたいな感じ。 小さい頃の話わたしは小学校の時にいじめにあっていた。 今回クローズアップしたいのはいじめの内容ではなく、 そのときの母の対応のこと。 わたしの母は、子供の机の引き出しを勝手に開けるタイプ、 いわゆる過干渉の一種にあたるような感じ。 目の前であけるのではなく、 本人がいないところでやる。 姉の引き出しを開けて 「おねえちゃんには内緒だよ」 と言われたことを覚えている。

          なんもきかんと、そばにいて

          「スタッフ兼参加者」という立ち位置が困る理由

          友達に話したら 「え?ぜんぜんよゆーだよ」  「たぶんその感覚わからんひと他にもおると思うよ」 とかえってきたのでしたためることにした。 スタッフ兼参加者とは  文字通り、  なにかあったとき手伝ってもらえたら それ以外はワークに参加していいよ とか 出店もしていいよ というもの。 イベントのお手伝いとかしてると けっこーあります。わたしの場合。 善意であることはわかってるんですよ。 これが悪意であるなら 悪意ってなんやねんってなるくらいには  善意であるとわかってま

          「スタッフ兼参加者」という立ち位置が困る理由

          わたしがsnsで独り言をいう理由

          わたしの投稿に限らないけれど、 「いやおまえそれべつに  ネットで書かなくて良くね?」 ってことは多々あると思う。 テーマの大小はさまざまで。 今回のテーマだってそうだ。 別にこんなの日記に書けばいいのだ、 アナログの日記に。 けれど、 わたしはなぜネット上に公開するのか。 べつに承認されたいからではない。 ことnoteに限っては特に。 Facebookは多くの友人と繋がってるので 応援やはたまた共感をしてほしい という気持ちは出てくるのだ。 いいねやコメントが少なけれ

          わたしがsnsで独り言をいう理由

          「いと・くうはく」に明確な目的はない

          今日、くうはく時間を共にしてくれた方が 「わたしは目的がほしいから  なにしたいか考えてきた!」 と話してくれた。 この「いと・くうはく」という時間には 明確な目的ややることがないのだ。 それを投稿から気づいてくれたんやろうと思う。 なるほどそれもわかるぞと。 わたしだったら こんななにするかわからない場所に 行こうなんて思わないという 圧倒的矛盾を抱えながら 「いと・くうはく」という場を 開いているんだけれども。 この「いと・くうはく」という場は 基本的にわたしのため

          「いと・くうはく」に明確な目的はない

          俺、同じ言葉で人を責めたことがあるんだ

          ちょっと原作のままではないかもしれないけど。 『ディアマイン』より。 自分が放った言葉は 自分に返ってくる、と言いますが。 先日、友人に 「それは自己満足じゃないの?  相手のことちゃんと考えな」 と伝えまして。 そしたらつい昨夜。 仕事で大失態をしたときのこと。 めそめそしながらフォローの作業をしてたら 「それ、相手から言われたの?」 と夫に声をかけられて。 「言われてない。  (意訳すると)もういいよと言われている」 と返したところ 夫の口から出た言葉は 「それっ

          俺、同じ言葉で人を責めたことがあるんだ

          あこがれのひとになるためにはどうしたらいいか

          「先輩みたいな音が出したいんですがどうしたらいいですか?!」  『青空エール』という、高校生吹奏楽部を舞台にした漫画で、こんなセリフがある。 それに対しての返答は 「自分の音は自分で見つけてください」 というもの。 あの人になるためには。 人生で1度は考えることではないかと思う。 それがリアルの人であれ空想の人であれ。 上記のセリフを借りるならば  自分のことは自分で探さなくてはいけない おまえはおまえであれってことだろう。 「みたい」になることは、できるのだ。 話し

          あこがれのひとになるためにはどうしたらいいか

          嬉しい、が、悲しい

          先日、お世話になってる方から 「わたしの事業が大きくなったら 事務局で入ってね!」 と言ってもらえた。 本来ならばとても嬉しいはずの言葉で、 実際にいま思い返しても嬉しくて、 そのときも 「はい、ぜひ〜」 と答えたのだけれど 同時に心が苦しくなってる自分がいた。 というのも、わたしは、 何度も何度も何度も何度も何度も何度も いろんな人達から近しい言葉をもらってる。 けど、1回も実現したことが無い言葉だ。 疎遠になった人、 違う人を雇った人、 継続ではなくスポットで利用

          嬉しい、が、悲しい

          現地集合、即解散

          今月から始めた、 いと・くうはく。 なんだかんだ毎週だれかが訪れている。   絵を描いたり しゃべったり 突然カラオケに行ったり おなかをもんだり 3-4時間なんてあっという間だ。   ほかでもないわたしのための時間 ひたすらスマホを見ている snsを見ている ゲームをしている そんな日はあとから 「今日はお休みの日!」と言ったりする そうではない 意図的な、 空白時間を。  「休みの日!」 とすると 「休まなきゃ」 って思うし ただ「空けておこう」にすると 予定を

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