空っぽの箱というはなし
「泣くほどなんかやったのかよ」
友人にそう言われて
「なんもしてない」ってしぼりだした。
二年間なにをしていたんだ。
なにもしていなかった。
なにもしていなかった。
なにもしていなかった。
流行りの考え方ではこういうのだろう
「そんなことない、なにかがある」と。
そんなあまやかしはいらない。
つらかろうがきつかろうが、私はこのやり方を選ぶ。
息抜きやガス抜きはするけれど、でも、わたしは自分を奮い立たせる生き方が好きだ。
少なくとも、今は。
どちらも試した、いまは、奮い立たせたい。
何かがあったというのなら、悔しさを味わうための二年間だった。
妬むよりも僻むのも当然で、私は何もしてなかった。何もしてなかった。
あの時間何をしていたんだろうなんてくやしくて泣くのはごめんだ。
何をしよう。何を使しよう。
一年後に笑うために、なにをしよう。