見出し画像

嬉しい、が、悲しい

先日、お世話になってる方から
「わたしの事業が大きくなったら
事務局で入ってね!」
と言ってもらえた。

本来ならばとても嬉しいはずの言葉で、
実際にいま思い返しても嬉しくて、
そのときも
「はい、ぜひ〜」
と答えたのだけれど

同時に

心が苦しくなってる自分がいた。



というのも、わたしは、
何度も何度も何度も何度も何度も何度も
いろんな人達から近しい言葉をもらってる。
けど、1回も実現したことが無い言葉だ。

疎遠になった人、
違う人を雇った人、
継続ではなくスポットで利用する人、
いろいろいる。

秘書になって、
とか
事務局に入って、
といった類の言葉は
好きな人をサポートしたいという
私にとっては
本来、元来、すごく嬉しい言葉なのだ。
願ったり叶ったりというやつ。


でもいまは、
すごくすごく嬉しくて
同時に

すごくすごくすごく悲しくなる言葉。


≒ 傍におきたい、のすっぽかし以外にも

・共同イベントを「(多忙故に)忘れてた」と言われた(こちらから問い合わせて発覚)

・アテレコを依頼をしたが「先に収録した人の現場にいた人で済ませてしまった」という事後連絡(こちらから問い合わせて発覚)

といったことがいろいろあって
(そりゃ人生だからいろいろあるけどさ)

ああ、私は大好きな人にとって
忘れらるような存在だったんだな
って思うと比喩でなく死にたくなる。
(存在がなくなるって本当の死だと思う)

雇いたいという類の話は口約束だったけれど
上記は結構話が進んでからの話。



すごく好きな人の言葉を
信じたくて、信じられなくて、
でも信じたくて、
でも、「どうせ」と思ってる自分もいて

どっかのだれかから
期待するのはその人の勝手だ(意訳)
というのも聞いて、
ありとあらゆることに対して
こころに予防線を張るようになりました。


・社交辞令かもしれない
・相手は乗り気じゃないかもしれない
・ドタキャンされるかもしれない
・途中で解散になるかもしれない

でもですね、さすがに

予防線を張るのが疲れた


というのことなのだと思います。
「ぜひ」と答える一瞬前に
胸が苦しくなって、びっくりしたのだ。
思い返して怒ったり悲しかったり
というのはあれど、
とんでもなくリアルタイムなことだった。

それに、予防線を張ってても、
ショックはうける。
そしてショックを紛らわせるためにか、
いろいろ考えるんです。

その時は本心でも状況が変わったんだろう
誓約書も契約書もない口約束に効力なんてない
社交辞令だった可能性もある
期待した自分が悪い、期待は自己責任
自分の人間性に問題があったのかも

とか。とかとか。
そらもういろんなことをね。

でも、
考えれば考えるほど答えも正解もでない。


特段、誰かを糾弾する気はないのだけど
これを読んで「自分のことかも」と思って、
もしなにかをしたいと思ってくれたのなら、

可能な限り丁寧に、経緯とかを話して、
できればわたしの気持ちも「どう思ってる?」って聞いて欲しい。
「しょうがなかったんだよね!」
なんて話が聞きたいんじゃなくて。
お互いどういう気持ちだったのか、
どういう気持ちなのか。
そしていまは、これからは、
って話がしたい。

そして

わたしと一緒に仕事したいなと
思ってくれている人へ



社交辞令を真に受けやすいタイプです。
自分の中で予防線も張ってますが
少し疲れたのもあるので、
できれば「いますぐにでも!」って場合以外は、そっとしておいて下さい。

その分、信頼してるよの合図として、
いろんなことをたくさん頼ってください。
(または誓約書とか書いてください笑)

いつかどこかのタイミングが合えば
ぜひご一緒しましょう。


ここまでの
たくさんの言葉を読んでくれてありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?