おすすめnote詩「借景」

まずはじめにタイトルの言葉。自分はこの言葉は初めて知りました。wikiによりますと「日本庭園や中国庭園における造園技法のひとつ」「庭園の構成に背景景観を取り入れる」ということが書かれていました。なんと言うカッコいい言葉。自分はこの言葉の意味を読んだ時に「同化」「カモフラージュ」「存在の希薄」「私が世界の一部」「世界が私の一部」というイメージが瞬時に現れました。おそらくこの言葉は、この詩を読むうえでとても重要な意味を持っていると思われます。

全体としては、リズムに溢れた詩であるように思われます。ここでのリズムは二つあります。ひとつは、言葉の繰り返しによるリズム。もうひとつはイメージの繰り返しによるリズム。全編を通して「失った」という言葉のイメージが繰り返されると同時に「私は~を失った」という文章もまた繰り返されています。

自分としては「さふさふ」の繰り返しに特に注意が向けられました。「さふさふ」あまり聞いた事のない表現です。オノマトペの一種にあたるものなのでしょうか。擬音語?擬態語?専門家ではないので分かりませんが、面白いなっていうのは分かります。

もう少しこだわってみます。「さ」=「s」「ふ」=「h」という子音になります。「s」の音は一般的になめらかであり軽さを表すようです。「h」は空気が流れる、息のイメージとなるようです。また「sa」→「hu」というように「a」→「u」の母音に変わっていきます。音のエネルギーが一点に集中する「a」から、音のエネルギーが拡散する「u」の方向性。「私」が拡散して失われていくこと、あるいは風景の一部として「私」がいなくなること、それらを表現している、と言うのは考え過ぎでしょうか。

「私」というものはたしかに希薄なものです。でも、全てが消えてしまうもの、失われるものだとしても、心に残る風景もまたある、この詩のように、と言ったら綺麗に纏めすぎでしょうか。


今日のメモ ↓

夢は詩のコンテストを主催することです。サポート頂けましたら運営資金に使用させて頂きます。優勝者の詩は例えば新聞広告の全面で発表する、などを夢見てます。ですが当面はインタビュー時のコーヒー代。謝礼等に使用させて頂きます。