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超難解『現代詩手帖』の投稿欄、感想。(2022年7月号)

今回は2022年7月号より『泥濘』の感想をゆるーく書いてみたいと思います。


詩は載せることが出来ませんので現代詩手帖を購入されていない方は買って頂ければ幸いです。


ついに過去の現代詩手帖の投稿欄を持ち出すとは、どんだけ思潮社に媚を売るつもりなんだと言われそうですが、べべべ、べつに、これで投稿欄で優遇してもらおうなんて思ってません。



(´・・`)( ´・_・) (・_・` )(´・・` )ヒソヒソ



(よく理由は分からないのですが、このシリーズの記事はめっちゃ閲覧数が伸びるのでそれで書いてるというのは内緒)


(・ω<) てへぺろ


本当のことを言います。なぜ書いているのかと言えば、それは読者の方々の笑顔を見たいからであり自分への利益なんて1ミリも考えたことがありません。つまり「Give」しかありません。


(`・ω・´)キリリッ!



さて、冗談は縦置き
(©︎真空ジェシカ)



冗談はさておき、詩の感想です。
めちゃくちゃ面白いです。


勝手に想像したのですが、どこか子供の遠足みたいだと思いました。それを詩的にコミカルに描いている。それと演劇の脚本などで使用されるト書き?が使用されているのが面白いです。



今回の詩で考えたことは以下の通り。


①詩のネタ
もし仮に、これが本当に子供の遠足であったり週末のお出掛けの詩であるとするのなら、やはり詩のネタ、モチーフというものは身近にあるものだし、幾らでもあるものだと思いました。

子供の遠足が週末にあるけど雨が降ってきた。長靴出さなきゃな。せっかく買ったおやつも片付けなきゃいけない。でもなんだかんだ遠足、週末は楽しみだよな。

普通に書けばこういうごく当たり前の日常なのですが、少し日常の細部に目を配ったり、言葉の細部にこだわると、こんなに素敵な詩が書けるのか、という良い見本のようだと思いました。


ちなみに最初の1行目「降ってきた長靴が誰のものか」の箇所ですが、どういう風な着想だったのでしょうね。私の解釈。スマホアプリの「Simeji」ってありますよね。キーボードアプリです。これで文字を打ち込むとたまに画面から風船やらキャラが降ってくることがあるのですが、そこが発想の出発点なんじゃないかと密かに睨んでます。



②(    )の使い方
今回は演劇の脚本の中で使われるト書きのように使われていました。場合によっては心の中の声であったり、誰かの声であったり詩ではよく見かける表現方法ですね。この表現方法を使うと、現実と物語、今回で言えば舞台、そういう設定を作るのに非常に便利です。




もしかしたら全然間違った解釈なのかもしれませんが、それはそれで仕方がないもんです。その辺のことは私のツイッターに書かれてますのでそちらをご覧ください。


(気づかれないようにツイッターへ誘導)



今日のメモ ↓

夢は詩のコンテストを主催することです。サポート頂けましたら運営資金に使用させて頂きます。優勝者の詩は例えば新聞広告の全面で発表する、などを夢見てます。ですが当面はインタビュー時のコーヒー代。謝礼等に使用させて頂きます。