おすすめnote詩「帰途」
全体の構成は三連からなっています。タイトルの「帰途」の通り、きっと何らかの帰り道の描写からのはじまり。自分としては、この詩は「途中」というものに焦点を置いた詩であると読みました。私たちは「生きている途中」なのだ、ということを感じさせてくれました。
一連目。「見覚えのある名前だと思ったら昨日見た求人情報に載っていた会社だった」きっと自分にもこういう風に感じたことがあるだろうなあ、という導入に惹かれました。個人的な体験、細部の描写が大切だと思いました。
二連目。「比喩ではない」の一節でぐっと詩に切迫感が帯びます。「睫毛の辺りにクモの巣が絡まっている」のところは詩的イメージだと思う。事実なのかメタファーなのか分からないけれど、強く惹かれた文章です。
「自転車横断帯を通過していく赤い自転車を追ったのが最後、あとはもう何も覚えていない」素敵な一節だなと感じました。でもどこに強く惹かれてるのか、ここの文章を少し分析してみたい。
まずネットで調べました。「Aら/が最後、B」は、一旦、Aをしたら、その後ずっとBだ/もとの状態には戻れない。という文型です。ここには「AだからB」という因果関係があると思います。もう一度、上記の箇所を読むと「赤い自転車を追った」と「あとはもう何も覚えていない」には因果関係がないように感じます。通常慣れ親しんでいる文型が、それとなく崩されているところ、そこが自分の気に入ったところなのだと分かりました。
三連目。「途中」であることの描写が並びます。「コーヒーが半分入ったままのマグカップ」も「途中」の描写なのだけれど、「帰ったら洗おうと思っていた」というごく普通の思ったことが書かれていると思いきや、そこにも「途中」の描写なのだと思います。私たちの考えも常に途切れ途切れのまま、毎日を過ごしています。
メモ
・個人的な経験の描写が大切
・詩的イメージ
・文法の崩し
・最後まで言葉を選ぶこと
・普通の描写とのバランス、強弱
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