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note詩人インタビュー Vol.3

≪Interview≫


note詩人
雪柳あうこさん

長崎県生まれ。
2020年、第五回永瀬清子現代詩賞、
第二十九回詩と思想新人賞。
詩集『追伸、この先の地平より』
(第72回H氏賞候補)


中学から大学まで長編小説を書き、友人とリレー小説を書いてきた経歴の持ち主。そんな彼女は結婚・出産を経て、2018年を機に「雪柳あうこ」と名乗り、2019年から本格的に詩を書き始めます。第3回目のnote詩人インタビュー。


『雪柳あうこ』



- 「雪柳あうこ」の登場と詩を書き始めることになったきっかけ

昔から色々と書いたりはしていたんです。 長いもの短いもの、色々書いてきました。大学生あたりでしょうか。まだ詩とは呼べない、小説にもならない、普通の日記にもならない断片みたいなもの、感情の走り書きのようなメモをノートにちょこちょこ残すみたいなことをしていました。

一方で大学生の時は本当になんていうか、小説に対して本気で取り組んでいました。実際に担当の編集者の方についてもらって、友人と一緒にデビュー直前というところまでいきました。その後、色々あってデビューということにはならなかったのですが、物を書くということに関しては、かなり訓練を受けたと思っています。

その後、色々と書きたいなと思っているものに形の限界があるなっていうようなことを感じて。小説だとうまく表現できないというか、そういう感じがあって。色々と幅を広げたり、形を変えたりしてみようかなと思ったのが、結婚・出産あたりになります。そうした経験を経て、小説だけで表現できないと思うものが増えたのもあって。

ものを書かなくてもいいかなって思っていたこともあるんですけど、やっぱり書こうと思って。「雪柳あうこ」という名前で本当に書きたいと思うもの、本当に好きなものをちゃんと書こう、という気持ちに切り替えたのが2018年でした。それまで人に見せるつもりが全然なかった書き溜めていた断片をちゃんと人に見せるとしたら、どういうことができるかを詩というかたちで模索してみたい、そういう風になったのが2019年の春くらいでした。

- 色々な詩誌の投稿欄でよくお名前を見かけるせいか多作という印象があります。どのくらい書きますか?また、どのように詩作をしていますか?


詩は月に5~6本くらいでしょうか。詩の投稿を開始するぞって思ったのが2019年の夏なんですけど。その時の投稿先としては現代詩手帖、詩と思想、びーぐる、日本現代詩人会の投稿欄などでした。そこに毎月1~2編ずつ送ろうと思ったら、月に5~6本いるなっていう計算ですね。月末に提出だとすると、この日にまで詩を作って、この日とこの日で仕上げよう、みたいな感じです。

ここ1、2年はそのサイクルがわりと合っていたのかな、と。 家庭も仕事もあるので、自分のために時間を空けるっていうのを意識的にすることが必要ですけど、まあ、自分自身も楽しいので、時間を作ろうみたいな感じになります。絶対やんなきゃ、みたいな感じではしてないんですけど、楽しくてやれたらいいよね、みたいな感じの流れを作ってます。

詩を書くときは、段階的に書くっていうか、1回で仕上がりっていうのはなかなかなくて。移動中とか通勤中に携帯に、わーっと原型みたいのを置いといて、それを時間が取れる時に、カフェとかでパソコンと向かい合って仕上げたり。それでも仕上がらなかったら更にもう1回時間を取る、みたいな。段階型?のような仕上げ方をするんですよ。

で、メモは日常的に、例えば通勤中にもなるべく1行でも2行でも書くことを習慣にしておいて、それを時間が取れるタイミングで、仕上げるっていう作業を取る形でやっています。だから今のペースぐらいでちょうどいいのかな。日常が忙しいと、その仕上げに入る時間が確保できないので、そうすると作品の数が減るかなと思います。


『怒ってる感情で書くことが多いですね。怒ってることが詩になったりすることが多い』



- どういうことが詩の題材になりますか?


わたし、ものを書くときには大体怒ってることが多くて。この間の詩の教室での対談の時に出した『火葬』っていう詩があって。あの詩を書いていた2か月くらいはずっと怒ってたんですよ。この怒りをどうしたらいいんだろうってずっと思っていて(笑)


わたしは、消化しきれない感情を文字にすることが多い方だと思うんです。ある葬儀の時に、ものすごいストレスを感じた出来事があったんです。 それが『火葬』という詩に昇華されたんですけど。それを書いている間、 1~ 2ヶ月くらい怒ってたんです。


あの詩は個人的にはすごく気に入ってるんです。あの日の個人的な怒りの出来事を、こんな風に書けたぞっていう。読み手の方からすると、それは全然違うニュアンスで受け取られる詩になっているっていうのも含めて、これはうまくいったんじゃないかって思ってます。


『火葬』

冷たくなった頬の横に
わたしとあなたが二人で写った
十数年前の写真を、
入れる

わたしとあなたは花に埋まり
やがて棺は閉ざされて
わたしはあなたと一緒に、
焼かれる

生者は、死者をふと、身近に感じるものだから
その逆もあると信じて、炎に耐える


怒りにはいろんな質があると思うんです。個人的な怒りもそうですし、関係性の中で嫌な気持ちを受けて怒る、防衛反応みたいな感じのものもありますよね。でも、結果的にそれをさせたのは、別にその人が悪いんじゃなくて、もっとこう、社会的構造だったりとか、色んな要因がありますよね。そういうことに対しての怒りみたいな時もあります。


いわゆる社会的なものに対する怒りみたいな詩を、詩人の松下育男さんの詩の通信教室のなかでいくつか試作してみているものがありまして。それらについては比較的、こちらが思ってるように通じていることが確認できるので、あ、こういうやり方もあるんだなっていうのを思っているところです。 うん、なので、このまま怒っていきたいと思います(笑)


- こういう詩を書いていきたいなっていうのありますか。先ほど話にあった社会に対するものとか


あると思います。今後やろうと思ってる活動とちょっと重なるところがあるんですけど、女性性とか、女性としての社会的なものに対する怒りの表明、というか。怒りというと言葉がちょっと強いですし、現代詩手帖でもあったフェミニズム的なものとはずれるかもしれないですけど、でも、なんて言うんでしょう。仕事をしていても、日常の中でも、あるいは結婚、出産というような身体的な変化みたいなものを通しても、いろんなところに感じるものが多いです。


実は2023年の夏ごろまでには、そうした、女性性に起因する表現ができるような詩誌を出したいと思ってるんです。同じようなコンセプトに賛同してくれる人の詩を載せていきたい。女性だけでなく、コンセプトに沿ってくださる方だったらこだわりはないんですけど、創刊は女性だけでやってみようかなと思ってます。


- どうして詩誌なのでしょうか?


なんて言うんでしょうね。 どうせやるなら面白いというか、自分が楽しいって感じられる形のものがいいなと思って、それと読んで「楽しい」ってだけで終わるものじゃなくて、もう一歩、波及的な広がりを持つものでありたいという風に思っていて。その形が1番いいのは何か色々とまだ模索中ですけど、まずは詩誌という形をとってみたいなと思いました。1人でやるよりは、何人かの方とやった方が効果的だろうと思ったのもあります。詩誌と言っても、ネット展開も同時にしたいと思ってます。あと、原稿料。書いてくださる方にちゃんと原稿料を支払えるものにしたいっていう希望もあるので、そういうことを実現していきたいと思っています。そして、詩誌というものが、「わたし」という物書きを象徴してくれるのではないかとも感じています。


『虚構と現実を組み合わせるタイプの詩を作っている』



- 雪柳さんの書かれる詩はすごく日常に根づいていると感じます。現実に起きたことを書いているのでしょうか?

全面的に作りごとです(笑) 例えばなんですけど『追伸、この先の地平より』の中の表題詩。最初の「筆跡」っていう詩があるんですけど、これももちろん作りごとです。この詩のなかで、私の身に起きた事実は何かって言うと、詩集を送るときによく使うレターパックみたいなやつ。あれが、とある人から仕事上の資料が入れられて届いたということです。届いたのは手紙でもなく、異国から来たわけでもなく、 ちょっと必要な資料を送っていただいた、ということだけです。もちろん私への手紙とかも入ってるわけもなく、もう、ただ、ポンって資料が入ってるだけのライトレターパック。青い縁取りの、あれなんですよ。そこにすごいきつい右上がりの文字があって。
そこから先は創作ですね。基本的には私の詩はそういうものだと思います。詩の起点は現実でリアルに起こったことなんですけど。どれもこれも基本的にそうですね。詩のどこか1点だけがその詩を創造するための現実で、そこから先は大体嘘(笑)。すみません、 夢のない話で。創作なんです。

でも、創作だって言っても、リアリティを感じてもらうような仕掛けとかはしてますし、例えばそこに書かれている気持ちが全て嘘というわけでもない。「わたし」が経験したことのある気持ちっていうのはもちろん入ってますし、色々な状況を想像して、こういう気持ちになることがあるよな、とか、こういう感傷的な気持ちになったりすることをどう上手く表現したらいいかな、みたいな感じで作品にして統合していく。虚構と現実を組み合わせるタイプの詩を作っているんですね。現実で起きたことをちょっと違う形にしたいみたいなのが、わたしの創作の動機に近いところがあるように思います。


- 小説で使ってた技法とか、そういうのを詩で使ってたりしますか。

あんまりないですかね。どっちかというと逆かな。なんか、詩を作るようになってから、小説を書くようになった時に、ここだっていうところの表現のひねり方を詩の書き方から応用するようになった。 詩の方の表現に学ぶみたいなところがあるような気がしますね。一方で、小説の作り方から使っていると言えそうなのは、たとえば詩の中でも、「ここ」みたいなところ(山場)を意識して作るっていう。それはやってるかもしれないですね。 他の詩人さんも多分おっしゃってることだと思いますが、「この一行だけは絶対届けるぞ」みたいな。そのために周りを固めるみたいなのは、ある気がしますね。あるいは、この一行をうまく響かせるために他を全部作るみたいな。


『好きなことをやってる時間を生きている私からしか生まれてこない言葉がある』


- 詩を書いていく上での上達の方法はなんだと思いますか?


上達。詩の上達の定義って難しいですね。上達ではないかもしれませんが、表現方法をもっと広げるためにしていること、というように考えると。好きなことをやってる時間を生きている「わたし」からしか生まれてこない言葉がある。そういうことだと思います。


自分の好きなことの幅が広がったり、好きなことを存分に経験してる時こそ、心のモードが違うというか。なんていうんでしょう、日常をざっくりと生きているというよりは、自分が何かの「役割」を負うことなく生きている。私が「わたし」の時間を生きる。そういうことを深く経験することが、結果的にことばの新しい表現を広げることになっていく、ですかね。なんかちょっと言葉足らずな感じになりましたけど(笑)。経験の幅を広げるって言い方はちょっと平坦で面白くないと思うんですけど、同じことを何回もやっただけでも、好きなことだと角度を変えて味わったりすることができるんだと思うんですよね。だから今みたいな言い方になりました。そして、その中で心が動いた時は、なるべくちょっとでもいいので言葉にするように心がける。その時、受けたものをちょっとでもいいから、メモに残しておいたりとか。


あとは、上達と言えば。例えば、読んだ詩集の作者に似せて一篇書くとか。それも多分、上達への道だと思います。勿論、そういうことを本当にしたいと思うような詩集に出会えたら、それをしたらいいと思います。無理にすると、なんて言うんでしょう。 それは、私のものじゃないって結論になっちゃうと思うので。


詩って、平易な言葉の組み合わせでも、 すごくいい形のものが作れるものだと思うんです。そういう意味では、上達っていう概念が、あんまり当てはまらないかなって思うんですよね。小説は圧倒的に上達が必要だと思います。それは型を学ばないことには、 ある程度表現できないものがあったりするので。型の訓練みたいなのがあるんです。例えばプロットを作って、それを文字に実際に起こすみたいな。小説の場合は文法的にも文章が伝わらないことには意味がないので、文の訓練も。でも、詩の場合は、言葉が文法上、壊れていても詩としては成立するし、なんていうか、本当に自由。これはこういうものなんだって言ってしまえば成立する。

でも、確かに人の目で見て伝わりやすいとか、そういうものは確かにあると思うので、伝わりやすさっていうところを意識するのであれば、やっぱり誰かに見てもらう回数を増やすということですかね。最初に、自分の中から出た時は、この言葉だったんだけど、人に読んでもらう時は、別の言葉の方が良いかもしれない、 と置き換えること。その時の言葉の選び方が「上達する」っていうのはあるかもしれない。自分からもそうだし、人から見た時にもすんなりといく言葉が選べるようになる、詩の上達っていうのはそういうことなのかもしれない。



『自分なりの言葉選びと、影響を受けてきたものの重なりが綺麗なオリジナルに見えた』



- 「才能」 による部分が大きいのでしょうか?


伝えるための言葉選びについては、「才能」は関係ないと思います。わたしの詩は、誰でも書けるものだと思います。言いたいことがあって、それに合わせて言葉を選ぶ。わたしは結構言いたいことがはっきりしているものばかりだと思うし、言葉も平易なものばかりです。ある程度同じ思いをして、同じ体験をしていれば、ある程度は近い詩になるんだと思います。
でも、いわゆる現代詩の最先端みたいな方もいらっしゃいますよね。そういうのは才能だと思います。もちろん努力の上にあるものだと思いますが。日本語文法からすると、それはそういう風には表現しないようなものを並べながら、全然繋がらないようなものを置きつつも、それで人に一定のイメージを与えることができるような言葉選びができることっていうことは才能だと思うし、私には絶対にできないタイプの異ジャンルものだという風に感じます。


そういう天才詩人さんは好きなんですけど、でも、じゃあその方のような詩を書きたいかって聞かれたら、究極には多分書きたくないと思います。 ある方の詩がすごい憧れで、その人に寄せた詩というのもあるんですけど、でもその人みたいになりたいっていう風には思わないし、思えない。私は、結構その辺がきっぱりしてるかもしれないんですけど。自分が言いたいなとか、こういう風にしたいなと思うことに向けて、自分なりの表現を追求している感じです。

わたしは、自分の詩はあんまり上手くないとずっと思ってるんですけど。でも、選者の目に引っかかることが比較的多かったのは、多分「オリジナル」に見えたからだと思います。自分なりの言葉の選び方をしていることと、影響を受けてきたものの重なりが綺麗なオリジナルに見えたから、選んでもらえることが多かったんじゃないかと思います。









インタビューをした人/文章を書いた人
「大人C」


編集後記


「10年は雪柳あうこ、としていってみようと決めて始めたんです」記事にはしませんでしたが雪柳さんを象徴する一言だと思いました。将来に対するビジョンがあって、目標と計画がしっかりある。まるでビジネス書のようではありませんか。私がそう言うと「そういう本は全く読んだことないんです」と可笑しそうに優しく笑っていました。


サポート頂きました皆様。今回のインタビュー記事を作成するにあたり、取材費(コーヒー代)として使用させて頂きました。ここに厚くお礼申し上げます。






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大人C
夢は詩のコンテストを主催することです。サポート頂けましたら運営資金に使用させて頂きます。優勝者の詩は例えば新聞広告の全面で発表する、などを夢見てます。ですが当面はインタビュー時のコーヒー代。謝礼等に使用させて頂きます。