おすすめnote詩「癖」
今回はこちらの詩の感想を勝手に書かせて頂きました。ありがとうございます。
詩のタイトルは「癖」です。「癖」というと、どこか軽いイメージ。日々の癖。ちょっとした些細なもの。でもこの詩での「癖」は重みが違います。
①構成とか
②自分と自分
①構成とか
三連で構成されています。この詩の核は二連目だと読みました。この二連目。どうしてこの位置に置かれているのでしょう。そこに考えを巡らしてみました。例えば一連目に置いてみる。それだと二連目以降が一連目の具体例として置かれることになり印象が弱いかもしれない。やはり二連目に置かれていることで効果が最大限発揮されているのだと思いました。
またこの二連目がとりわけストレートな表現になっていると感じます。他の連はタイミングよく比喩表現が出てきますが、この二連目は比喩表現ではなくて、句の繰り返し、入れ替えがされていて、ループする構造の文章です。切なさがあると感じました。
②自分と自分
この詩で傷ついているのは物理的な私であるし精神的な私でもあるのかな、と思い読みました。特に最後の「赤い涙を回収した」のところで、そういう印象を持ちました。「回収」という言葉が、どこか冷淡であったり、冷たい印象を感じるからだと思います。まるで「赤い涙」を物のように扱っている印象です。この冷淡さは、客観視をしている自分、もう一人の自分、から来るものなのかもしれません。「自傷」をする事に対して理由をしっかりと把握している自分、一方で、分かっているけどそれをやめることができない自分、それを「癖」だと言える自分。そういう詩なのかな、と思い読みました。
これは「自由詩」と呼ばれるものでしょう。ここに書かれていることはどうして「詩」でなければならなかったのだろう。この形式を選んだこと、あるいはこの形式しかなかったこと。「詩」ってなんだろうなあ、そんなことを思いました。
今日のメモ ↓