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六本木で観た「キース・へリング展」
休みの日に美術館の展覧会情報をチェックしていたら、その日にキース・へリング展がスタートすることに気がつきました。ポップなスタイルが好きで、以前はよく彼の展覧会に足を運んだのですが、最近はそういう機会がありませんでした。美術館に行くのは後でもいいだろうと思っていると展覧会がいつのまにか終わってしまっていたこともあり、今回はすぐに行ってみることにしました。
森アーツセンターギャラリー
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会場は六本木ヒルズにある 森アーツセンターギャラリー です。
東京メトロ 日比谷線 六本木駅の地下改札から地上へのエスカレーターで昇ってくると、正面の広場に大きなクモの彫刻、ルイーズ・ブルジョワ の《ママン》があります。そこを通り過ぎて、左手にある丸い建物が 美術館と展望台への入り口 になります。円形の階段を昇って細い通路の先がチケット売り場です。私は家を出る前にウェブサイトから予約していましたので、スマホのQRコードを入り口のセンサーにかざして中に入ります。そして、専用のエレベーターで52階へ昇ります。
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森タワーの52階は外周部と内周部の2つのエリアに分かれています。エレベーターホールを出て右へ曲がるとその先に入り口が2つあります。左側が外周部の 東京シティビュー(展望台)の入り口、そして右側が内周部の 森アーツセンターギャラリー の入り口です。ちなみに森美術館は、さらに進んでエスカレーターを昇った53階にあります。
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入り口の横にはキース・へリングの作品を拡大したポスターがありました。このイメージはやはり キース・へリング を思い起こさせます。
会場は1章から6章までともう一つのエリアに分かれています。最後のエリアは撮影禁止ですが、それ以外は基本的に撮影可能という説明がありました。
1章 公共のアート
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チョーク、紙、板
1981-83年
1章のタイトルは 公共のアート です。キース・へリングは1980年代前半、ニューヨークの地下鉄駅にある空いた広告板の黒い紙にチョークで絵を描き、短い時間で完成させると再び地下鉄に乗って別の駅に向かうということを繰り返していました。山梨県の小淵沢にある 中村キース・へリング美術館 が所蔵している2つの作品と、ニューヨークの マルトス・ギャラリー が管理している5つの作品の合計7つのサブウェイ・ドローイングが展示されていました。(写真は中村キース・ヘリング美術館蔵)
美術誌「美術手帖」のウェブ版によると、この展覧会を監修した中村キース・へリング美術館顧問の梁瀬薫さんは、キース・ヘリングのサブウェイ・ドローイングをまとまった形で鑑賞できるのは『奇跡的』なことで、「この展覧会を逃したら一生見ることはないのではないか」と話していたということです。(注1)
3章 ポップアートとカルチャー
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3章 ポップアートとカルチャー ではキース・へリングがデザインしたレコードジャケットが展示されていました。
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1985年
そして、ニューヨークの芸術劇場「ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック」で開催されたダンス・パフォーマンス『スウィート・サタデー・ナイト』の舞台背景として作成された作品が飾られていました。この作品の前でブレイクダンスが演じられたということです。
6章 現在から未来へ
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シルクスクリーンにエンボス加工、紙
1990年に作成された5枚組の版画作品
6章 現在から未来へ の最後の作品です。中央が光り輝く赤ん坊という意味の「ラディアント・ベイビー」。キース・へリングは赤ん坊を「社会の色に染まらない純粋無垢な存在であり、未来への希望の象徴」と考え、自分のモチーフの一つにしていたということです。
トピック:キース・へリングと日本
写真撮影できるのは6章まで。先に進むと「スマホやカメラはしまってください」と案内があります。トピック:キース・へリングと日本 というコーナーです。1983年に彼が表紙を描いた ぴあの月刊誌『Calendar』が数冊ほどガラスケースの中に並べられていました。1988年、青山通りに彼のポップアップショップが作られ、そこで販売されていた商品も展示されていました。ディスプレーにはキース・へリングが表参道で当時の若者たちと戯れている映像も流れています。
このコーナーの壁に書いてあったキース・へリングの言葉がちょっと印象的でした。
「日本に行くという素敵なオファーに僕は飛びついた。日本は、僕にとっては大きな意味のある国。東洋の思想のこともあるし、それからもちろん『書』にも影響をうけているから」(”Keith Haring : The Authorized Biography” John Gruen , 1991 から)
写真を撮ることができなかったので文章を書き取りました。多少の違いがあるかもしれません。あしからず…。でも…
日本に好意を持っていたことがわかりました。
六本木ヒルズの風景
六本木ヒルズはクリスマスに向けて飾り付けられていました。キース・へリング展の帰りに撮った写真を追加してご紹介します。
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(参考資料)
(注1)
ウェブ版「美術手帖」 キース・ヘリングが愛され続ける理由とは? 森アーツセンターギャラリーの大規模展でその多面的なクリエーションに迫る(2023年12月9日)
(キース・へリング展では彼の主張などから刺激的な内容もありますので、ご注意ください)
(2023年12月13日、12月9日に行ってみました)