『室町無頼』 ー 垣根涼介
私はトニー・ケンリックと垣根涼介の文庫本はブックオフには持っていかず、仕舞い込んだはずだった。数週間前から垣根涼介の本を探したが本棚か段ボール箱の奥の方に隠れてしまったようでなかなか見つからない。全部をひっくり返すよりは早いと思って近くの図書館で数冊探して借りてきた。
冒頭を読んだだけで思い出した。小説『ヒートアイランド』のプロローグに渋谷でストリートギャングを気取る若い輩に絡まれていた女性を主人公が助ける件がある。この小気味良い流れが好きだった。
歴史ものの垣根涼介は読んでいなかったが、映画の予告編で「室町無頼」の原作が垣根涼介と知って上下二冊の文庫本を買って読み始めた。私には登場人物の「吹き流し才蔵」にヒートアイランドで感じていた小気味良さが蘇ってきた。
応仁の乱直前、寛正の飢饉(1461~62年)で京都に8万2千人もの死者が出た頃。『室町無頼』は剣の達人二人の物語だ。片方が百姓や馬借(いまの運送業者)、職に溢れた牢人の不満を集め一揆を企て、もう片方が京洛警護役として対峙することになる。
『土倉』ー 物語のキーワードの一つである。教科書では「どそう」と読むはずだが、小説では初出で「つちくら」とふりがなが付けられていた。音読みがいいのか訓読みがいいのかは詳しくは知らないが、文脈からいまの貸金業を指しているとわかる。債権回収業務も彼らの業務の一つだ。
二条高倉にある「法妙坊(ほうみょうぼう)」という土倉は比叡山の山法師、暁信(ぎょうしん)が経営していた。比叡山の銭を百姓たちに貸し付け、返済が滞れば土地を取り上げ、女子供を人買いに売り飛ばしていた。法妙坊は比叡山の威光を笠に着て他の土倉よりも高い金利で貸し付けていたというからやはり悪徳金融業者だ。
骨皮道賢(ほねかわ、どうけん)は悪党の首領で、盗賊たちに睨みが利くと見込まれて京都の治安を司る目附役、京洛警護職を務めていた。それでも当時の室町幕府は財政基盤が脆弱で功績をあげても恩賞はない。荷駄の警護などを専売的に任されてはいたものの、それぐらいでは配下を養うのは大変だった。
そこで、悪評が聞こえてきた法妙坊暁信に目を付けた。道賢一味は賊の姿に変装して法妙坊の土倉に押し入り金目のものを奪っていった。今であれば悪徳金融業者の事務所へ警察が組織的に押し込み強盗に入るようなものだから、滅茶苦茶な時代だ。
土倉には長い六尺棒を武器として使う小僧の才蔵(さいぞう)が居た。映画では差し押さえの場で百姓を痛めつけろと命令されたが才蔵は叩くことができず、そのお仕置きとして土倉の蔵で縛られていた。一方、小説で才蔵は土倉の用心棒の一人として道賢一味の二人を殺し、三人を不具者にするほど暴れた。普段であれば出てくることがない棟梁の道賢が仕方なく登場し才蔵を気絶させて連れていく。
そして、映画では道賢が主人公の蓮田兵衛(はすだ、ひょうえ)を呼び出して頼み事を伝え、序でに才蔵を預ける。小説はそこも違った。道賢が自ら才蔵を連れ、東九条の屋敷から北西方向の嵯峨路の先にある兵衛の屋敷まで赴き、そこで才蔵を譲り渡していたのだ。
私は小説を読んでからIMAX版の先行上映を観たが、この道賢の印象が気になった。垣根涼介は道賢を「ひときわ大柄な男」「毬栗頭に髭面の、黒袈裟に身を包んだ見るからに魁偉な男だ」と評している。図体はでかいが俊敏なプロレスラーが髪を切り、髭を生やした姿を想像していたものだから、堤真一が髪の長い武士のような姿で颯爽と京洛警護役を演じていたのとはイメージが違ったのだ。
一方の兵衛は剣の達人ではあるが、「中年」で「素牢人風のすらりとした男」となっている。道賢よりスマートな優男のようだ。道賢が兵衛と初めて会った時「男にしておくには惜しいほどの美丈夫だ。弓なりの眉の下、切れ長の目に強い光がある」と感じたというから、私は体格や年齢を別として板垣李光人の顔を思い出していた。あるいは生きていれば田村正和ということになるのだろうか。
それに、映画と小説では二人の関係が微妙に変わっている。映画では京洛警護役の道賢が素牢人の兵衛を堂々と上から目線で使っているように映るが、小説で道賢は兵衛にリスペクトを持って接している。わずかな言い知れぬ引け目が道賢の中にあるようにも感じる。
ちょっと話題が戻るが、映画の兵衛は一揆を計画する場面で土倉を「つちくら」ではなく「どそう」と言っていた。教科書案を取っていたようだ。
才蔵は琵琶湖の西岸、唐崎で自分に勝ったら銭をくれてやると書いた高札を立て、試合相手を探していた。兵衛は才蔵を唐崎の老師匠のところへ連れてゆき稽古をつけるよう頼んでいた。その稽古の三つ目、最後の稽古だった。銭は兵衛が師匠に支払った稽古代のうち、才蔵のために使った残りの全部だった。
小説で才蔵は十五人と試合いし、七人は殺さずに生かしておいた。その中の七尾ノ源三(ななおのげんぞう)、赤間誠四郎(あかま、せいしろう)の二人には、京で食い扶持に困れば蓮田兵衛の屋敷へ行けばなんとかなると伝えていた。棒術の習得だけでなく、才蔵の人を見る目も研ぎ澄まされていく小説のこのあたりも、私が好きなストーリーだ。
映画では巨漢で金棒を振りかざして掛かってくる馬切衛門太郎(うまきり、えもんたろう)もこの稽古で才蔵と知り合ったことになっているのだが、小説では京で生活し賭場に通っている少しは名の通った牢人として描かれている。骨皮道賢、蓮田兵衛とは以前からの知り合いで、道賢に捕まったばかりの才蔵にも会っている。
老師匠による才蔵の稽古がすべて終わった後、兵衛は一計を案じた。先々敵となる道賢を巻き込み東寺の近くにある東市で、命懸けで勝負させる見世物を開いた。ローマ帝国時代のコロッセオで行われた相手が死ぬまで続ける剣闘士、グラディエーターの試合のようなものなのか。
集めた見物料は最後まで勝ち残ったものが総取りする。才蔵に敵うものはおらず銭はすべて才蔵のものになるが、その場合、道賢に全部渡す約束になっていた。棒術の稽古として実戦を重ねたい才蔵と収入を得たい道賢の双方にとっていい話だ。兵衛は才蔵を兵法者として名を上げさせたい。観客の前で才蔵が勝ち続けるところを見せられるので、兵衛の願いも叶うことになる。なんと言っても道賢一派が見世物を仕切っているから兵衛や才蔵たちと道賢の配下の者が顔なじみになり、兵衛たちへの警戒心が薄まるというメリットもあった。
馬切衛門太郎はそこで才蔵と戦うのだが、打ち負かされながらも命までは取られなかった。
兵衛は馬切を買っていた。本隊の他に牢人を中心に遊撃隊を作り、馬切を隊長に据えて大暴れさせた。土倉にちょっかいを出して嫌がらせし、幕府側を挑発する役割だった。
本隊の先陣が才蔵で、兵衛は才蔵と馬切を指揮した。一揆は一日だけではなく、数回に分けて攻撃を仕掛ける作戦を練った。兵衛たちは最初の一撃を前に百姓、馬借、牢人など万人も集めたが、この時、道賢の直属の配下は三百に過ぎない。京に近い守護大名であっても、隊を整えて応援に来るには時間がかかる。そこで道賢は土倉を守らなければならない法妙坊暁信を説き伏せて比叡山の僧兵を集めさせ別動隊として組織した。皮肉なことだが、暁信は道賢が土倉討ち入りの張本人とは知らずに配下に入ったのだ。敵味方がころころと変わる応仁の乱前後の空気がすでにここにあった。
戦いが第二弾、第三弾となり、幕府側が体制を整えてくると数では上回っても戦いを職としているものを相手に百姓たちの負担は重くなっていく。この頃には馬切衛門太郎の名は京洛中に轟き、彼を軽んじるものは居なくなっていた。馬切にとって戦いを続ける意味も無くなっていたのだ。兵衛は馬切やそれぞれの部隊の意志にまかせ、一揆軍から離れたいものが居れば村や住まいに帰らせた。そして、残った部隊を東寺に集めた。最後の戦いになる。
数の上でも劣勢になり東寺が落ちると兵衛は百姓、馬借、牢人を密かに逃がし、最後まで残った七尾ノ源三と赤間誠四郎、馬借の伝助には銭を隠した場所を教え、分かれて逃げさせた。自身には才蔵だけを付けていた。
兵衛と才蔵は淀の畔で道賢に待ち伏せされた。桂川と宇治川、木津川が合流する少し手前だという。川伝いに大阪へ向かうだろうと見抜かれていたのだ。道賢は東寺で兵衛の顔に酷似した首を探して持ってきていた。打ち取ったことにして兵衛を逃がそうとするが、兵衛はそれを断る。才蔵を生かして放すよう約束して、兵衛は道賢と剣で戦う。兵衛は東寺の戦いで太腿を矢で射貫かれていた。剣の腕は互角でも傷を負った兵衛には分が悪い。映画では御所の前の戦いで道賢は短刀で兵衛の太腿を射しているが、小説の道賢は短刀を使わない。剣だけで戦い、兵衛の首を刎ねた。これが寛正三年、1462年の十一月二日のこと。初戦が九月十一日で映画では数日で終わったように映っているが、小説では約二か月の時が流れていた。
もう一人の登場人物が居る。遊女の芳王子(ほおうじ)である。彼女の住まいは三条高倉というから、いまの住所であれば地下鉄烏丸御池駅に近い京都文化博物館のあたりになるのだろうか。博物館の北側斜向かいの二軒目となっている。
彼女は街で見かけた道賢に惚れていたが、別れて兵衛の情婦になる。芳王子は道賢に次の相手を教えなかった。道賢が害を加えないかと心配したからだ。だが、兵衛は芳王子の心配を他所に自ら伏見稲荷の道賢の本拠地にやってきた。それが二人の顔合わせだった。
太刀を合わせたが、勝負はつかず一合だけで止めた。お互い確実に仕留められる相手ではないと悟ったからだった。無駄な殺傷はしたくない。この時、道賢は兵衛について「わずかながら好意のようなものさえ覚え始めている」と感じていた。
映画では芳王子の屋敷に道賢が詮索にずかずかと入っていき、兵衛は雰囲気を察して隠れる場面があるが、小説の道賢は芳王子への想いが複雑で、芳王子宅の敷居を跨ぐのを躊躇うほど気持ちは弱かった。
文庫本上下二冊もの分量の原作が2時間強の映画に仕立て直されていた。一揆の場面は江戸の市中で展開される「暴れん坊将軍」や「桃太郎侍」、「必殺仕掛人」の雰囲気を感じさせ、それはそれでおもしろい。
小説では洛中の南北を往来する主要な通りとして東洞院大路が出てくる。現在の京都は自動車の道路が整備され、京都御所や二条城が存在するので、応仁の乱前後と比べ様子は違うだろうが、それでも当時の大路は幅二十メートル以上の広い道だったようだ。
もし、映画がリメイクされるなら、幅の広い烏丸通や御池通を通行止めして一揆を撮影できないだろうか。VFXで建物を当時の屋敷や小屋に置き換えれば迫力のある画になると思う。
第二の戦いの後、兵衛たちは一揆勢の本陣を下鴨神社近くの糺の森に移した。加茂川の対岸に京都周辺を領地とする細川、畠山、山名の守護大名軍が到着した。その夕刻に兵衛は大将自ら行商人に変装して偵察に向かい、夜襲をかけることを決めている。
また、第二戦の最中にはその時の幕府側の大将である道賢が馬上から塀の屋根に飛び移り、一揆軍と幕府軍が衝突している先頭の様子を自分で確かめに行っている。
この二つの場面は映画にはなかったが、映像として加わればおもしろいだろう。そうすれば、映画『レ・ミゼラブル』で警察署長のジャベールが私服で革命軍に潜入するような緊張感も出てくる。今回の映画では才蔵が屋根を伝って敵陣の向こう側に回り込むシーンもあるのだから、道賢が塀の屋根に飛び移る映像も無理ではないと思うが、どうだろうか。
垣根涼介ファンに戻った一人の読者の戯言に過ぎないので、忘れてもらっても構わないが……
映画を見た後でもう一度文庫本を読んでみた。小説のおもしろさが増幅されたような気がした。
(※)『室町無頼』は10年前、2014年から2015年にかけて週刊新潮で連載され、2016年に加筆修正された単行本が発行、2019年に上下二巻の文庫本として出版されました。
(※)冒頭の写真は「東寺」を東海道新幹線を挟んだ向かい側「梅小路ポテル京都」の屋上テラスから撮ったものです。東寺は小説『室町無頼』の中で蓮田兵衛率いる一揆軍が最後の砦として籠った場所でした。2020年11月撮影。
(2025年1月)