人間関係の悩み
悩みの90パーセントは人間関係です。
私自身も20代や30代の頃はよく頭を痛めていたテーマですね。
ところが40代後半過ぎてからあまり気にしなくなりました。理由としては人はその時にいいと思って付き合い始めたとしても、時が経てば変わるものだと分かったからです。ただ相手が離れたりすると残念に思ったり、悲しい思いをすることは多々あります。
それでも、自分が心理学を専門に仕事を開始すると、多くの人が悩んでいるその内容そのものが、自分に何かがあるのではなく、相手が悪くて相手に問題があると思っている方が大半でした。ただ実際に相手に悪意があったり相手から混乱を仕掛けられる場合も多々あります。
しかし相手を変えられるでしょうか。そう変えられません。だから相手ではなく「自分がその関係性をどう捉えるか」「自分がどうすべきか」という視点が必要になってきます。
嫌われないことを優先する生き方
多くの人間関係で問題を抱える人を調べてみるとある傾向に気が付きます。
それは他人に嫌われないことが最優先という生き方をしている人です。
例えばこんな感じです。
ある人は「自分の好きがわからない」といいます。話しを聞いてみると、自分のことを話す時もずっと、セラピストである私のことを気遣っているのが手に取るようにわかります。私の方が話しを聞こうとしているのに、この人はまるで「セラピスト側の話し」を聞こうとしているかのようです。
この姿勢から「セラピストのカズ姐さんが不快な思いをしないように、カズ姐さんの求める答えをちゃんと出さなきゃ」という方向に意識が向いているのがわかります。なぜなら優等生的な受け答えをしかしません。これではセラピーは全く進められません。
私は「この時間はあなたのための時間だよ。自分のことを話そうね。自分が何を感じているのか、自分が何を求めてきたのか、それを聞いてるんだよ。」と伝えてもご本人は「・・・・・」となります。
このように「自分を優先できない」という生き方をしてきた人は、間違いなく幼児期から誰かを優先してきたのです。だから「あなたのことを話して」と言われると困ってしまいます。そういう場面に慣れていないからですね。これは過去「誰か」に自分のことを表現することを禁止されてきた名残です。それは当然「親」ですね。
子供は親に嫌われ、排除され、孤立させられることを最も恐れます。そのために本当の気持ちや欲求を押し殺しては親のご機嫌や親の思いや願いを汲み取り、優先せざるを得なくなってしまうのです。
親との関係が今の人間関係に反映される
では親に嫌われないことを最優先にしてきた人は、大人になってからどうなるでしょうか。当然、自分よりも自分の皮膚の外側の人間の要求を汲み取り、その要望や要求を先回りして叶えようとするでしょう。
だから周りにいる人たちに利用されたり、いじめられたり、搾取されたり、騙されたり、ということが増えていきます。そうすると他人が怖くなります。元々「人に嫌われる恐怖」を感じているので、そのような体験をするたびに怒りと憎しみを感じているものの、無意識下に抑圧して無かったことにしています。
その怒りはやがて爆発してキレたり、破壊衝動に駆られたり、過食やアルコール依存や異性との依存関係やギャンブル依存に走ったり、自傷行為や自殺衝動、うつ状態になったりもします。これを繰り返しては、人間関係がうまくいかないといいますが、そもそも嫌われないように他人を優先する生き方のツケがきているのですから、こうなるのは当然といえます。
仲良くしなければいけないという縛り
苦しみを抱える多くの人はこのように「嫌われないように、認められなきゃ、愛される自分でなきゃ、いい人でなきゃ、できる人でなきゃいけない」と感じては本当の自分を殺しています。だから苦しいのです。
私たちは幼児期にみんなと仲良くしましょう、と教えられました。また親や社会もそう教えています。確かに仲良くする方がいいに越したことはありませんが、果たして大人になった時にこれが良くない縛りになってはいないか?と感じることが多々あります。
好かれる子はいい子です、だから人に嫌われないようにしましょう、というメッセージに伝わってしまっているのかもしれません。誰だって嫌われたくはありませんが、人として生まれてきた以上嫌われないということは「不可能」です。どんなに好かれる人でも嫌いな人はいます。嫌われずに生きることは不可能なのです。
それなのに「嫌われないように生きる」ことを優先している人がいます。人間関係で悩んでいる人の多くはこのパターンの人が圧倒的に多いのです。嫌われないように生きているから、結果として嫌われてしまう人のいかに多いことか。それはなぜかというと。。
「嫌われないこと」を優先する生き方
悩んでいる人の多くは「嫌われないこと」が優先なので、嫌われないように生きているのです。逆の人は「好きだから、関わりたいから」という理由で人と関わろうとします。私もそうです。嫌いな人には近づかないし、好きな人と関わるだけです。
つまり、悩んでいる人はやっていることが真逆なのです。
嫌われないことを優先して人と関わろうとすることと、好ましい人だと思って自分から関わろうとすることと、どちらが望ましいか。これはもう答えはわかると思います。
嫌われないことを優先する人は当然「不安と恐れ」を解消することを優先してしまいます。相手に近づくのは怖い、だから相手の方から近づいてきて欲しいと思ってしまい、消極的になってしまうのはこれが理由です。相手が主体となってしまい、自分が主体ではありません。
人間関係を良くしよう、仲良くしようという意味が「嫌われないようにしよう」にすり替わってしまっている場合は、対人関係は恐怖そのものになります。別に自分が関わりたくない人とは関わらなければいいだけのことです。その境界線が曖昧な人ほど対人関係に苦しんでしまいます。
相手に嫌われないように気に入ってもらうこと、気に入ってもらえなければ仲良くなれないと強迫的に感じているからこそ、いい人いい顔をしてしまうわけです。これでは苦しくなるのは当たり前ですね。
他人が主体者の生き方は苦しみの人生です。
嫌われる勇気という本が有名になりましたが、それくらい日本人にとってはいまだに「克服できない深刻なテーマ」であるという意味になるでしょう。
さて、8月25日には大阪でこのような深い人間関係をテーマにしたセミナーとセッションを開催する予定です。興味のある方はぜひ。