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農を業とする。

毎年この時期から冬にかけて、農家の手伝いをしている。
といっても休日に動けそうな日に行っている程度。
非常にわがままな勤務形態だが、「来れそうなら来てー」
という具合だからお言葉に甘えてそうしている。

同級生のりんご農家はわりと手広い経営をしており、一年中仕事がある。オフの時期なんてない。いつも忙しそうにしている。体も常にボロボロな気がする。三代続く農家で、りんごのほかにジュースやアップルパイ、その他りんごの加工食品から、お米、そしてブルーベリー農園も持っている。

今日はブルーベリーの収穫から始まった。
昨日の雨で畑は沼のようにズブズブだった。

歩くところがこう。

毎年収穫時期が早まっており(ブルーベリーに限らず農作物全般)、いつもは7月いっぱいは余裕な気配だったのが、もう終わりそうな勢いだった。続く異常気象、害虫の増加など、地球の変化を直に感じ取れる瞬間をここ数年垣間見ている。

強そうな虫。
常に繁殖進行形。


それでもお客様は、やってくる。私も食べたい。
旬な、おいしい農作物を。

今日、同級生のお母さんと話していても「肥料も農薬も値上がり値上がりで。田んぼをやってる人なんかは収穫量の半分は経費で持っていかれる、それでいて去年の米の価格。バカらしい!と田んぼを辞める人も増えてるってさ。」となんだか明るい未来が見えない雰囲気。お米、随分安かったそうな。

大きく展開すると損失も大きい。
これは仕方のないことなのかもしれないが、どこからどうしたらいいのか、時代を先取りする目を持っていない私の頭は破裂寸前だ。

目の前のことをこなすだけでは良くないのだろう、ということだけはわかる。
それでも太陽と共に毎日動かなければならない農家の方々。彼らに足を向けて寝られないことは確かであり、生活の多くの部分を支えてもらっている事実を受け止め、感謝し、できる限り手を動かして来た。

「袋」がまだのりんご。

今日はブルーベリーも充分に採れないし、ってことで午後からはりんご畑へ。「袋かけ」をした。数回しかやったことがない作業だったが、夢中になって黙々とできた。

りんごのひとつひとつに、袋をかける。
もちろん無袋(むたい)で育てるものもある。
おおまかな違いはこちら↓

なんと手のかかる愛すべきりんごちゃんなのだ。
ひとつ、ひとつ、だ。
いつも思うが、作業は袋かけだけではない。ひとつひとつにこんなに手をかけている我が子が、台風で一気に落とされたら死にたくなるのもわからなくはない。悔しくて悲しくてどこにも行き場のない思いだけが残る。

「袋」がかけ終わったりんご。

どうか、今年も、なにごともなく、収穫できますように。
毎年祈っている。
農家の手伝いをするようになってから祈るようになった。
ほんとうはそれではいけないよな。
知ってからではダメだよな。
経験しないとわからなかった。

だから昨日書いた農薬についても、あさはかな思いだけがある。
でもさ!なんか!思うんだよ!なんか感じてるんだよ!
ということを結論まで出さずに書き始めて、そのまま終わるクセ。

「だから私はこう思う。」の理由とか説明とかふわふわしたままというか、文章にできない。ということは、頭でもまとまっていないんだ。ああクラクラしてきた。考えて、まとめて、書く、訓練としてnoteを使っています。すみません。

ここまで読んでくれた方にも足を向けて寝られません。
ほんとうにありがとうございます。
あと、ナスとかトマトとか、自家栽培の野菜もいただいた。
お母さんありがとう。

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