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ハラスメントの星に生まれて、移住してから思うこと

ある日私は友人に言われました。 「ハラスメントの星に生まれたと思うしかないね」 と。 なるほどそうか、私はハラスメントの星に生まれた人なのか…と妙に納得した話と、いやいや、もうそろそろほかの星に移住したいな、とも思って移住してみたら見えてきた話です。

わたしはいま、演劇アレルギー(と名付けた)に罹っている。

演劇を観に行くと、とたんに体調が悪くなるのでそう名付けた。
次の日(早くて当日)発熱したり、頭痛が起きたり、ひどいときには嘔吐もする。
だから、ここ数年はほとんど演劇を観に行けていない。
し、演劇に携わることもほとんどできていない。

なんでこんなことになっちゃったんだろうと、いろいろな誘いをお断りするたびに思う。

思い当たる出来事はいくつもある。

ハラスメントとひとくくりにするにはなんだか複雑で、厄介な出来事がわたしには起きていたと思う。

わたしは、たくさん愛情を注がれていたし、それと同じくらいに傷つけられたとも思っている。それが人としてなのか、仕事としてなのかはいまだにわからない。そもそも、そこに愛情があること、が、正しいことなのかもわからない。

ただ、経験自体を否定することもないなとも思っている。得たものは山のようにあったと感じているからだ。

ただ、それは関係構築がある程度できていたらの話。
はじめましての環境でそれができるためには、お互いを知る必要がある。
上っ面だけのよさげな言葉じゃ、中身が見えなければそれが嘘だってすぐにばれる。どんなに立場が上の人だって、そこに奢りがあれば見透かされる。

わたしとあなた、の関係で済めばいいのだけれど、稽古場の環境は妙なものだ。その稽古場のマジョリティたちの力で、白だったものが黒にもなるし、真っ赤な色に染まることもある。

昔、とある現場で脱いだ時に「私よりも胸が小さい人初めて見た」と客演先の役者に言われたことがある。あの時、私は本当は脱ぎたくなかった。でも、求められていると感じたから脱がざるを得なかった。
なんどか「脱ぐ理由が見えない」と伝えたが、「脱ぐか脱がないか」しか聞かれなくなり、仕方なく脱いだ直後の話だった。

なのに、そんな心ないこと言える?

でも、わたしが本当は脱ぎたくなかったけれど脱がざるを得なかった証拠はない。ただ、あの場でわたしは脱ぐことを求められているように感じたし、脱がなければいけない気がしていた。そしてそれを、嬉々としてやるしかないような気持ちになっていた。

彼女がどうしてそんな言葉を投げたか知らないし、もう覚えてもいないかもしれない。ただ、わたしはどんなに時間がたっても、ふとした瞬間にそのことを思い出して泣きたくなることがある。

心が繊細だから、とか、そういう理由で片づけてしまっていたけれど、私のこの感覚って、間違っていたのかな。いやなものをいやだって、言えない自分が悪いとばかり考えていたけれど、果たしてそうだったのかな。

答えのない問いを一人で永遠と繰り返してしまうことがある。

「そんなことないよ」と誰かに言ってもらえたらいいってことでもなく、わたしが腹落ちしない限りこの問いは続くのだと思う。そして似たような出来事を目の当たりにするたび悶々とするのだろう。

ただ、わたしはこれらの経験(と交通事故)でわたしが推せるのは私だけだし、NOを言う必要性と勇気を得たので、多分もう大丈夫だと思う。
これからの人生の中で、もやもやを隠すのも無理をするのもしないと決めることができた。

言葉にするのに数年かかった。まだ言葉にできてないけど、今出さないといけないような気持になったのでしたためる。

わたしに心ない言葉を投げた人も、もしかしたらハラスメントの被害者なのかもしれないと感じたのは、ことが少し落ち着いてから。
そして感じる絶望ったらなかった。わたしたちが傷つけあう必要なんてきっとないのに。

おこがましいのかもしれないし、わたしの覚悟とやらがないだけなのかもしれない。けれど、わたしはやっぱりあの時の選択を間違えたと思っていないし、これからもそれは揺るがない。

今はあのころよりも何倍も楽しく、信頼できる人がいる星にたどり着いた。
だからこそ見えた景色を、忘れないように書いておく。




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