死とゴダールとわたし
ゴダールって知ってる?
ジャン=リュック・ゴダールって知ってる?
ヌーベルヴァーグを代表する映画監督。
ヌーベルヴァーグって知ってる?
1950年代半ばから起こった映画の革新運動のこと←ググった
当時の撮影スタイルに疑問を持った若者たちが、新しい撮影方法を模索した運動のこと(これは私なりの言葉
ゴダール作品観たことない方も、『勝手にしやがれ』とか『気狂いピエロ』とか、映画を観たことがなくても、多分ポスターとか見たらわかるかも。アニエスベーとかでもたまに飾られてる。(昨年末に下北沢でやっていたアニエスベーのフェスでも飾られていたらしい。わたし、行けなかったけど
わたしは高校生の時に『勝手にしやがれ』を観て、「やばー!めっちゃかっこいい!!」ってなって以来、ずっと好き。好きすぎておこがましくも卒論のテーマにしたくらい(読み返したくないくらい雑なエッセイだったけど)
当時付き合っていた人もゴダールが大好きで、どっちの方がゴダールが好きかで何度も喧嘩した(好きの方向性が違いすぎて、結論はいつもでなかったというか、彼の暴力的な誘導によってわたしが負けてた)
わたしの青春そのものなのです。
アンナ・カリーナとゴダールの関係にあこがれていたなー
当時の恋人は、ゴダール気取って映像作ってた。わたしもたまに出てた。
(今はあの関係、微塵もあこがれてないけど)
そんな彼(ゴダール)は一昨年、スイスで安楽死を選んで亡くなった。
そのニュースを聞いた時に、わたしは「あぁ、最後までゴダールはゴダールだったな」と思ったのを覚えている。
安楽死の是非について問いたいわけでもない。そんなの正直個人の勝手だと思うし。ただ、わたしは、映画作品を通してしか知らない彼に、(おこがましくも)彼らしいと感じてしまったのだ。
ゴダール追悼映画祭で
そんな彼の追悼映画祭が上映してたから行ってきた。
選んだのは『はなればなれに』という作品。
「ふたりの男とひとりの女。恋と犯罪をめぐるロマンティックな悲喜劇」
というのがこの作品のコピーなのだけど、ロマンティック、どこ?と思う人もいるくらいに、何が起こっているのかよくわからない。突然無音で踊りだす3人、永遠に死なない男…スタンダードな映画を観ている人にとって、頭の中は「????」が生まれることと思う。
でも、私はそんな彼の作品の中に、行間に、死と愛を感じていた。
大学生の当時には気がつけなかった、彼の描く「死と愛への欲望」に共鳴していることに気が付いたのだった。
死へのあこがれ
こんなこと言ったら変人扱いされるかもしれないけど、わたしは生と死の境目がよくわからない。人は睡眠という形をとって毎日死んでいると思うし、痛いのは嫌だけど、生きることにさほど執着していない。だってみんな死ぬし(反論はもちろん受け付ける)
ゴダールがどうおもっていたかは知らないけれど、そういうわたしの「生と死」に対する思いが、彼の作品で描かれる「死」や「永遠」という要素に共鳴したことは、最近分かった。
「はなればなれ」はわたしにとって、ロマンチックな恋物語ではなく、永遠に付きまとう「死」というものに対する探求の作品に見えた。
だから、ゴダールが安楽死を選んだ時に、「あぁ、最後までゴダールはゴダールだったな」と感じたのだった。
ちょっと何が言いたいかわからなくなったけどさ
ということで、わたしのゴダール探求の旅は終わらなさそう。
大学生のころ、恋人とゴダール&カリーナをきどったこと、時を経て観たときに、彼の孤独や死について気付いてしまったこと。
映画は作品だけでなく、わたしじしんの人生のストーリーのいちぶになる。
それを教えてくれるのは、(わたしにとっては)いつもゴダールなのだ。
どんなにホラー映画にはまっても、A24にはまっても、ハビエル・バルデムかっこいいってなっても、山﨑賢人かわいいってなっても、わたしは永遠にゴダールに憑きまとわれているんだと思う。
ゴダール作品が好きだし、何ならわたしの恋人たちともいえるなーと気づく。知りたい知りたい、ってなる恋人。
そしてゴダールを思うと、やたら()をつかってしまうなぁ。