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NARUTOってすげえ。


ふとnoteを見ていたら、とんでもない生命力を感じさせる方の文章に出会い、完全に感化されてしまった。六道仙人に力を渡された時のナルトみたいな感じ。

人の魅力に感化されやすい自分。しかしそれは、良いなと感じる自分に正直であるとも解釈できる。いくら他人に感化されようと、他者のエネルギーを吸収し新たな自分が生まれるだけなのだ。流されたって自分であることには変わらない。九尾モードになった時のナルトもそうである。九尾に心を左右されつつも、九尾のチャクラを自分の力として昇華したナルト。感化されることは、他者のエネルギーを己の力にすることなのだ。

さっきから私が挟んでいるNARUTOネタ、しっくり来ただろうか。最近またNARUTOにハマり始めてしまった。そして私が文章においてフルパワーを発揮するためには、自分の好きなことを語るのが一番だと考えた。

まずNARUTOの何が良いかって、マジですげえとこ。漫画としてのNARUTOも、主人公としてのナルトも本当にすげえ。全てのキャラに背景と人生があって、絶対に自分の言葉を曲げない忍道のナルト。あとアニメ(漫画)として音楽もデザインもやばい。和を感じさせるセンス、良過ぎて神樹生える。
そんなNARUTOの世界に憧れた私は、小学生の時点で火遁・豪火球の術の印を結ぶことができた。中学生の時は火遁・鳳仙花の術すら唱えることができた。

そうして幼い頃の私は、NARUTOの世界観をただ楽しんでいた。どんなキャラにも魅力があって、ナルトもそのうちの一人だった。火影になる夢を掲げ、絶対にブレなかったナルト。夢があることをすげえと思った。だからナルトに自分を重ねることはなかった。幼い私には夢がなかったのだ。小学一年生の頃だった。初めて将来の夢を訊ねられた時、私は大金持ちになりたいと紙に書き、それを学校の壁に貼った。爽やかな気分だった。後日、親にこっぴどく叱られた。お前は医者になるんだ、人を助けるのがお前の夢だ、祖母の病気をきっかけにお前は医者になるんだと。大金持ちになるなんて夢はみっともないと。そうして私は高校二年生の時まで自分は医者になるものだと思い、人生を過ごした。

だが、それから年を経て、この歳になって気付くことがある。最近知ったことなのだが、mbtiという枠組みによると私とナルトは同じenfpらしい。結構嬉しい。つい自分とナルトを重ねてしまう。自分にもナルトのように芯があったのかもしれない。そう己を省みる。

そして面白いことに、NARUTOの世界でenfpはもう一人いる。それがうちはオビトだ。オビトは闇堕ちしたナルトだとよく言われる。ナルトと同じように火影になる夢を抱き、誰よりも優しかったオビト。リンが死んでからはこの世を呪い、沢山の悪事を犯した。だが最後は、己を取り戻し前を向いてこの世を去った。

私も過去にこの世を恨めしく思ったことがあった。なぜ自分であることを変えられないのか、なぜ生きる必要があるのかと悩み苦しかった。だが己に問いかけ、時に人と関わり、自身を見つめ直すことで本当の自分を拾うことができた。
ナルトもオビトも後ろを向くことはあれど、最後は必ず前を向く。人のことを思う自分を捨てることもなかった。そして一人で戦いつつも、その背中を見守る人々に助けられて前へ進んだ。そんな彼らの生き方は、どうしても私に重なる部分があった。

人は歳に比例して自分と向き合う機会が増える。
お前の夢は何かと訊ねられることもある。自分は何者かと考えることもある。それはアイデンティティを確立する過程だ。

血を見ると具合が悪くなることに気付いた私は、医者になるのをやめた。血を見ない内科にもならんと決めた。大金持ちにも興味をひかれなくなった。年を経るうちに、やっと私にも夢ができたのだ。いつか必ず人を幸せにすること。いや豊かにすること。目に見えることばかりが大切にされるこの社会で、私は目に見えないことへ目を向ける。手段は起業でもなんでもいい。そうして人々の心のうちを少しでも豊かにする。

そんでもって、それが俺がぜってえ諦めることのない、絶対に曲げねえ忍道なんだってばよ。即ち私の人生、まさにYOURA疾風伝なのだよ。なあんちゃって。

私の物語、まだまだ始まったばかりなのであるノ巻。

うずまきyoura疾風伝  第一章  つづく なのでした。

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