私にとっての優しさとは
優しさとは何だろう。
「優しさとは我慢することなのか?優しさは全てエゴなのか?」というひょんな疑問から、私なりに優しさについて考えた。
(上手くまとまってないかも)
優しさを語った二人の人
「優しさとは我慢することだ」と言った人と、「優しさは全てエゴだ」と言った人がいた。
どちらもその通りで、その通りでないと思った。
片方の人は、「優しくいるということは自分より他者を優先し、他者へ譲ることだ。だから優しさとは我慢することだ」 と言った。
もう片方の人は、「優しくすることの理由は自分が満足するためで、自分のためにすることだ。だから優しさはエゴだ」 と言った。
確かに、他者が幸せにいられるよう、他者に色んな物事を譲り、自分の思いを我慢することは優しさだと思った。
そして、打算的な優しさがあるなら、それはエゴだとも思った。優しくすることの裏に、「その人を助けたい」という自分の気持ちがあるのは、エゴかもしれないとも思った。
でもその時、本当にそうなのか?と思う私もいた。
優しくいるためには、必ず 「譲り我慢すること」 が必要なのか?優しさの裏には、本当に 「自分のことを考えているエゴ」 しかないのか?
その後、片方の人は、「あなたが強く求めるものがあったとして、他者がそれを欲しがった時、あなたはどうするの?その時あなたは譲るしかない」と言った。
もう片方の人は、「人に優しくする時、人の心には必ず打算が生じる。だから真の優しさなんて存在しない」と言った。
私は、この二人の言葉に絶対的な答えを出せるような賢さを持ち合わせていないし、甘過ぎるほど考えが甘いかもしれないけど、それでも思うことがあった。
本当にその通りか
確かに、優しさの中で自分の思いを我慢し、他者に譲ることが必要な時はあるかもしれない。でも、優しさを実現する中で、本当に選択肢は譲ることだけなんだろうか。他にもできることがあるんじゃないか?
例えばどんなに譲れないものがあったとしても、他者と話し合い、新しい何かを生み出せば、皆を幸せにして優しさを実現できるかもしれない。
新しい何かを生み出せずとも、結果的に自分が他者へ譲ったとしても、我慢をする必要はないのかもしれない。
物の見方を変えれば、自分のためにも相手のためにも尽くす事ができる選択をしたと、広々とした気持ちでいられるかもしれない。
そして、確かに優しさにエゴが含まれることはあると思う。でも、優しさがエゴだけで成り立っているとは思わない。
利己的な感情に関係なく、誰かを助けたいという純粋な気持ちが存在することがその証明なのではないか?
例えば目の前で大変な目に遭っている人を見かけたら、理屈ではなく衝動で助けたい気持ちが湧き上がる。そこにエゴなんてないと思う。
利己的な感情が湧き上がるとするなら、それは助けたい気持ちを行動に移そうとするとき。
行動をする前に、その行動がもたらす意味を考えたとき、初めて利己的な感情が湧き上がるんだと思う。
だから、他者を思いやる気持ちが湧き上がった時、そのままありのままに行動へ繋げればいい。
私は優しさにエゴはあるべきでないと思う。
「行動しないより行動する優しさ」と言ったりもするけど、利己的でない優しさの方が温かい。
だからこそ、優しさは決して押し付けてはならないと思う。他者のためを思っているつもりでも、それはあくまで自分の気持ちであって、必要としていない他者へ押し付けるのはエゴだと思うから。
他者を思いやる気持ちを素直に持ち続けること、それが純粋な優しさなんだと思う。
時に何もしないことだって、温かな気持ちを持っているなら立派な優しさ。
譲って我慢しなくてもいい、エゴでもない優しさって存在するんだと思う。
私にとっての優しさとは
だから私は、優しさとは、 「他者が必要とするときいつでもその人のためになれるよう、温かく純粋な気持ちでそこに在り続けること」 だと思う。
そして他者を助けるとき、決して自分をすり減らすことなく、決して他者に押し付けることなく、誰もが幸せになる新しい道を模索し続けることが私のやり方だと思う。
それは他者だけでなく、自分にも優しくいることなんじゃないかな。
この世に打算的な優しさが存在するのは分かる。他者の優しさに下心が垣間見えたり、偽善的に見えたり、他者の優しさを怖く感じることはあるかもしれない。そもそも純粋な優しさを身近に感じることなんて滅多にないかもしれない。
でも、だからこそ私は純粋な優しさを実現したい。世の中にはきっと真の優しさを持つ人が数多くいると思うけど、たとえそんな人達の存在を感じないことがあるなら、私だけでも純粋で優しくいたい。
ふと、優しさは太陽みたいだなあと想像する。
そこに温かく在り続ける太陽。沈む時もあれば、少し遠く寒く感じることもあるけど、それでもずっと世界を照らし続けてる太陽みたいなもの。
世界中の太陽にはならなくとも、自分の関わる人達にとって、温まることのできる太陽でいられるように。
自分はまだまだ未熟だし、熱すぎたり雲がかかる時もあると思うけど、それでも変わらぬ太陽として皆を温めていられるように。
そうして私は優しく在りたいし、在り続けたい。