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ばっしらいん

平良典子(99年生まれ 東京都出身)

「おかえり」
宮古についたら、迎えてくれた。

おばあが旅立ってしまってから、はじめての宮古。10年前、一緒に宮古へ行った親友と。
父のにいにいといとこのこどもが迎えにきてくれた。

父は6人兄弟の末っ子。
迎えにきてくれた父のにいにいは長男で、父とは11歳離れている。
真っ黒な肌にパンチパーマ。父とは正反対で全く似ていない。
宮古の方言で話すのをきくのがいつも楽しみ。
東京からきた友人はみんなにいにいにハマってしまう。

いとこのこどもは小学生。今ハマっているのは、ピザ屋ごっこ。ダンボールでピザとピザの箱をつくっていて、ピザ窯で焼く工程も欠かせない。「お支払い方法はマイマイで」に親友とお腹を抱えて笑った。

外での遊びといえば、ゲーセンに行ってモスに行くのがおきまりらしい。ゲーセンに行くのは今も昔も変わらないんだなーと懐かしく思った。

私が幼いころの宮古に行く楽しみといえば、おばあと過ごすこと、いとこのにいにいねえねえに会って遊ぶことだった。

父と父のにいにいたちは夜中までお酒をのんでオトーリをしている。

その横でいとことトランプをしたり、バランスボールで遊ぶのがおきまり。いとこのにいにいのケータイで音楽をきいたりゲームをするのも、宮古では夜更かしできるのも楽しみだった。

外での楽しみといえば、いとこのねえねえに髪をアレンジしてもらって、ゲーセンに行ってUFOキャッチャーをして、プリクラを撮って、ヴィレヴァンに行くこと。

7歳上のいとこのねえねえの真似をしたくて、なんでも真似をした。プリクラもヴィレヴァンも宮古がはじめて。東京に帰って友だちともプリクラを撮って、ヴィレヴァンに行った。幼いころの新しいことといえば、宮古だった。

“海”よりも“プリクラ”だった。

今は、“プリクラ”よりも“海”。

2日目、やっと太陽が顔を出してくれて、海で大はしゃぎの23歳。

やっぱり宮古の海。

幼いころは当たり前のように過ごしていた宮古。
だんだんと特別になっていった。

宮古の美しい海、方言、宮古上布。
残していきたい宮古がある。

最終日、父のにいにいに、ばっしらいんに連れて行ってもらった。

ばっしらいんは、宮古のファミリーレストラン。
幼いころ、いつも宮古空港に着くと一番に父のにいにいに連れて行ってもらった場所。

最近は行っていなかったけれど、なんだか行きたくなって、お願いした。

ちょうど甲子園の時期。父のにいにいが甲子園に夢中になっている横で、宮古そばを食べた。

やっぱり宮古そば。
久しぶりのばっしらいんは懐かしく、落ち着いた。

残していきたい宮古があった。

“ばっしらいん”は宮古の方言で、“忘れられない”という意味。

そっか、方言だったのか、今さらながらに思った。

何気なくきいてきた方言も、だんだんと話す人が減って、耳にする機会も少なくなってきた。方言も、残していきたい宮古。

おばあが旅立ってしまってからはじめての宮古。

行く前はこわかったけれど、行きも帰りも見たことのない美しい空が飛行機から見えて、一緒にいる感じがして、こわくなかった。宮古では虹も見えた。

おばあ、また新しい宮古を見つけたよ。オトーリもおしえてもらったよ。

見守ってくれていて、ありがとうね。

ばっしらいん。

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