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小さなクリスマス

タイラ(99年生まれ 伊良部島出身)

出不精な私にとって、クリスマスは非常にプレッシャーを感じるイベント事だ。クリスマスに限らず、夏の暑い日やお正月、バレンタイン、ありとあらゆる行事は私に変な緊張感を抱かせる。

ちょっぴり強めで素敵な個性である自意識と、SNSで常に行われるイケてるモン勝ち競争の影響である。

今でこそ、出不精であることに言い訳ができる社会状況になり多少はリラックスできるものの、学生時代はいかにイベントを楽しんだ事を自慢気にすることなく伝えるか躍起になっていたと思う。

旅行に行ったり飲み会にでかけたり。それはそれで楽しいんだけど、イベント終了後は心の筋肉痛に襲われて2、3日ベッドから動けない事もあった。

コラムを書くにあたり、クリスマスの思い出を思い返してみた。思春期に突入して以降、心の底からクリスマスを楽しんだ事は実は無いかも知れない。(一緒に過ごしてくれた皆のせいじゃないよ)伊良部島で味わった、頑張れば半袖で過ごせるクリスマス。地味で、質素かも知れないけれど、あれが一番幸せだったんじゃね??

クリスマスといえば、サンタさんからのプレゼント。私は母子家庭だったが、両親ともに毎年プレゼントをくれていた。

今でも印象的な思い出として残っているのは、10歳あたりのクリスマスイブ。当時、覇権を握るゲームハードであったニンテンドーwiiをサンタクロースにねだった年だった。

島ではおもちゃ・ゲーム屋さんは限られており、Amazon等のネットショッピング文化も馴染みがなかったのでサンタさんは入手に手間取っただろう。

25日の早朝に目を覚まし、サンタが置き配してくれているであろう場所に行くと、wiiがしっかり届けられていた。母親を叩き起こして一緒にプレゼントを開封し、朝ごはんよりも先にゲームをプレイする事に。

事件はその時に起こった。ゲームのパッケージを開くと地元のおもちゃ屋発行の保証書が入っていたのである。

当時の私は完全にサンタクロースの存在を信じており、社外秘の方法でプレゼントを生み出して雪国から遥々ソリに乗ってやってくるもんだと思っていた。なので私はその保証書を発見してめちゃくちゃ混乱した。
「サンタさん宮古島でwii買ったの?」「フィンランド的な場所じゃないの?」など様々な思考が頭を駆け巡り、フリーズしていたと思う。

それを見た母親は慌てて、「サンタさんは一人じゃないよ!支部的な?宮古支部的なものがあると思うよ!」というような意味合いの事を私に言い聞かせてくれた。

幼い私は「そりゃそう。」と思った。世界中の子供にプレゼントを供給する非常にマンパワーの必要な業務がワンオペであるはずがないからだ。その後はすっかりゲームに夢中になったし、以後3年くらいは毎年サンタさんの来訪を楽しみにしていた。

今思い出すと非常に素敵なクリスマスのエピソードだと自分で思う。母親のツメの甘さも愛おしいし、サンタを信じて疑わない私の曇りなき眼(まなこ)も一生大事にして欲しいと思う。

もうひとつ、楽しみにしていた事がクリスマスのイルミネーションだ。と言っても、当時の伊良部島では客船の最終便が無くなってしまうと、宮古島に行く術がなくなってしまう。だから市内のイルミネーションを見に行くこともできないし、その頃から出不精だったので大きなイベント会場などにも行くことはなかった。

どうやってイルミネーションを楽しんでいたかと言うと、母親と夜ドライブして他の民家の飾り付けを見学しに行っていたのである。

個人の家で飾るイルミネーションなどたかが知れているが、大きな家の「うやき(方言で裕福)イルミネーション」は見応えがあって好きだった。更に私はシブい子供だったので、普通の家のささやかなイルミネーションにも魅力があることを知っていた。

絢爛に飾る家の心持ちも、地味だけれどクリスマスを味わおうという家の趣もどれも素敵だと今でも思う。

母親に「次は〇〇家を見に行きたい!」と願い、車内でクリスマス無関係のロックやポップスを流しながらするドライブは最高に贅沢なものだった。中学生になり、高校で島を出てからしばらくそんな時間は過ごしていない。

派手でSNSに映えるクリスマスも楽しいけれど、個人的にはささやかで小さなクリスマスも素敵だと思う。

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