遠い未来の民話
西由良(94年生まれ 那覇市首里出身)
先週末、「沖縄の民話を読む会」を東京で開催した。きっかけは、12月に開催するワークショップで民話を扱うと決まったこと。沖縄のワークショップで読むなら、東京のメンバーとも読んでみたら面白いかもと、メンバーの山里晴香さんが企画してくれた。ただ、沖縄の民話はたくさんあるし、本の数も多い。そこで、私の父で編集者の新城和博にも相談しながら、メンバーで民話に加え怪談や世間話に関する本を3冊(『沖縄の民話』『沖縄怪異譚大全』『沖縄の世間話』)セレクトした。その中から、山里さんが26編のお話を選んでくれ、みんなで読んで感想を言い合った。
中でも私が好きだったのは、『沖縄の世間話』に収録されていた「白いひげのおじいさん」。沖縄戦中に、ある人がどんなふうにして生き延びたのかを語った話だ。いく先々で、謎の白い髭のおじいさんが「どこどこへ行くといい」とアドバイスしてくれて、助かったそうだ。こんな不思議な沖縄戦の話を聞いたことがなかったので驚いた。
他には、「鬼ムーチー」という一年で一番寒い日にムーチーを食べるようになった由来を伝える民話も印象深い。私にとっては、保育園の頃にお遊戯会で演じたこともある、小さい頃から馴染みのある話だったが、初めて聞いたというメンバーがほとんどだった。また、伊良部島のインガマヤラウという木の妖精(?)の話などの初めて聞くものも多かった。
メンバーからは「展開が目まぐるしくて、現代を生きる私たちが読んでも面白くエンタメ性が高い」と感想が出た。でも、「良い話なのか悪い話なのか、どう受け取れば良いのかよくわからない」という正直な感想も。また、「文字で読んだら意味が取りにくかったけど、声に出して読んでみたらすっと理解できた」という声には、口承だからこその魅力を感じた。特に盛り上がったのは、海で嵐にあって溺れた際にカメに助けられた民話「亀の恩返し」について。「同じような話を友達から聞いたことがある。今は親戚の間で“カメ”に助けられたのか”サメ”に助けられたのか、議論が分かれているらしい」と教えてくれた。こういうふうに話が変わっていくのか。民話が変化するまさにその瞬間を知って、みんな大興奮だった。
話しているうちに、そういえば、私の身の回りにもいつか民話として語り継がれそうな話があるなと思い出した。渡嘉敷島のひいおばあちゃんが見た夢の話だ。
ひいおばあちゃんの家の庭には、井戸のそばに大きなサガリバナの木があった。毎年、夏の夜になると、サガリバナは綺麗なピンク色の花を咲かせる。しかし、花が咲くのは一晩だけで、朝になると散ってしまう。ひいおばあちゃんは、掃除が大変だといつも怒っていたそうだ。「こんなに大変なら、この木はいつか切らないと行けない」と叔母に愚痴をこぼしたり、木に向かって「もう切ってしまおうか」などとぼやいたりしていたらしい。
すると、ある日の夜。祖母の夢に綺麗でとってもかわいらしい、女神様のような人が出てきた。
「私は木の精です。どうか木を切らないでほしい。この木は大切な木です。」
その夢を見て以来、ひいおばあちゃんは木を切るとは言わなくなった。叔母曰く「井戸の近くにある木だったから、おばあさんもきっと何か神様や神聖なものだと納得したんじゃないかな」ということだった。ひいおばあちゃんは、ニコニコしながら叔母に夢の話をしたそうだ。渡嘉敷の家には、今もサガリバナの木があり、毎年綺麗に花を咲かせている。
なんだか民話になりそうじゃないか! この話は、ひいおばあちゃんが孫である叔母に伝え、叔母が私に伝えたものだ。私は、この話をひいおばあちゃんから直接聞いたことはない。だから、私がここに書いたものは、きっと、ひいおばあちゃんの話とところどころ違っているはずだ。この文章をひいおばあちゃんが読んだら、「夢に出てきたのは女神じゃない」と言うかもしれない。
過去の誰かが経験した(かもしれない)ことを、誰かに伝えるために語り継がれてきた物語。読書会を通して、語り継いできたからこそ不確かになったり変わっていったりする面白さがあることを実感した。いつか遠い未来で、私たちが書き残したコラムも誰かが“民話”として読んだり、語り継いだりしているかもしれない。未来に行って、どんな話になったか、聞けたらいいのになぁ。