◆ 泣くという行為
基本的に、涙腺は弱い。
今振り返ってみると、近ごろは自分のことで泣くことはなかったんですね。
泣くのはほとんど、映画やドラマ、ドキュメンタリー番組を観ていて、自然と涙が流れるくらい。
家族と一緒に観ているときでも、「えっ!ここで?」と言われるくらい、すぐに泣いてる。
心理学的にも、「涙を流すことはデトックスにもなって、ストレスを開放することにもなるし、大切な行為よね」とか思いながら。
◆ 泣き真似
子供の頃、母の気を引きたくて、よく泣き真似をした記憶がある。あまり成果はなかった気もしますが・・・
だからなのか、最近、自分が流す涙に、自分でびっくりしたんです。
泣き真似の体験から、どこかで、涙は自分が意図して流すものだと認識してしまっていたようですね。
昔は「涙は女の武器」と言われた時代もありましたし。
若いころは「目には目を。歯には歯を。」の性格だったのでヾ(≧▽≦)ノ、女の武器としても使いこなせませんでしたが(笑)。
聖子ちゃんを見て育った時代だし、最近は、4才になった孫のウソ泣きと、お嫁さんの本気の闘い(*^▽^*)を見ててもね。
◆ 突然、涙が溢れる
父の介護や母の通院のときは、姉妹で都合を調整して動いているんですね。私は自営業なので、平日の時間の調整はできる。姉は会社員なので、週末に動く。という感じで。
そうなると、ドクターの話を聞くのは、私になるんです。
・救急搬送されて、治療の経過を聞いたとき。
・転院する療養型の病院でのドクターとの面談のとき。
延命治療に関しては、父が元気だったときの本人の意思や、家族でも話し合って既に決めていることです。
でも、いざドクターがその確認をし始めると、突然、涙が溢れて、声が震えて、言葉が出てこなくなるんです。
淡々と説明をしていたドクターも、その時には少し時間をおいて、声のトーンもやわらかくしてくれたような気がしました。
そしてやっと「延命治療はしません」と言った後から、涙が止まらなくなって。それを思い出しただけでも(今も)涙が溢れてきます。
涙って、こんな風に突然、胸が詰まって溢れてくるんだと、初めて体験したのかもしれない。
◆ 気丈な母
病院から実家に帰って母に報告していたときも、やはり涙が溢れて、声を震わせながら話していたら、母は「淋しくなるね」と言いながら気丈にふるまっていました。
実家からの帰り道、単身赴任中の10才年上の夫に電話して、「あなたのときには、何十本チューブを付けてもいいから生かしくださいって言うから。」って伝えたんですね。そしたら、即、却下されました。