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どんなに遠くても辿りついてみせる!コージリおじさんの初投稿をご笑覧あれ!
2017年10月28日土曜日、早朝5時半前後?
まさかの脳梗塞発症…!
あれから、2年と8カ月が経過した。
俺、ハンドルネーム:コージリ。
2020年7月5日現在、脳梗塞の後遺症として、ちょっと重たい言語障害を抱える一嫁一男を持つ59歳、男性。
47歳の時、ネット起業を志し22年勤務した某大手通信会社を脱サラ退社。
以来、今日まで12年間、本来なら本業となるべきインターネットでの情報発信を、相も変わらず副業とし、それだけを自分自身の生命線として継続してきた。
昼間は生計維持のため、障害者雇用の一契約社員として従事しながら、夜はPCに向かう毎日。
それは性格も、環境も発症前の3年前とでは180度転換したなかでやっていること…。
思えばこの12年間。
日の目も見ることもなく「よくも飽きもせず、毎年綱渡りの生活を続けてこれたものだなぁ」と、我ながら感心している…。
これもある意味「ご利益?!」
俺はいま、仏教マーケティングアドバイザーとして、極めてアクセスの少ないサイトを運営している。
「これ。」
おかげさまで、インターネットでのマーケティングスキルの量としては、かなり貯えられたと自負している。
これまで「楽して簡単に」という言葉に踊らられながらも、いくばくかの多大なお金の流出もしつつ、インターネットでできることは、ひと通りやってきたつもり?!
だけど、それが結果として「自分の思い描く場所にたどり着けてない」のが現状の自分だ。
かといって、日々改善をやっている最中であり「これは、いいカモがいる!」と要らぬ声掛けは無用でござる!
だからこそ、一人でQC(クオリティコントロール)、PDCAサイクルを回しながら、カメのような速度で1日1ミリの成長を目指しているのだから。
そして今、等身大の自分をさらけ出し、成りたい自分にたどり着くための意思表示として、重い腰をあげてこのnoteの初投稿に臨んでいる次第だ。
これからは、備忘録として、もしかしたら後々の家族への遺言として、日々の向上と起死回生の足跡を語れるような情報発信をしていきたいと思う。
思えば、この28年間(31歳から今日まで)は、聴覚障害という大きなハンディを抱えて生をけた子を持つ親として、向上心と行動力と積極性を武器に戦ってきた人生だった(我が息子は生まれながらの障害者)。
在職中の中にあっては、某空手団体の地方の事務局長としての活動も道場運営もやってきた。
また「プロ野球選手になりたい!」ということを書いた、たわいもない当時小学2年生の息子の作文にいたく共感し、息子の在学した聾学校(特別支援学校)内に私設の野球チームも作った。
今でも、聴覚障害者でもやればできるという証を作るため、出来る限りのいろんな青写真を描きながら、甲子園が射程圏の高校に推薦入学で入れるように奮闘努力し情熱を燃やしたあの頃のことが、走馬灯のように脳裏に蘇ってくる。
まさか、その自分が言語障害という、息子と同じコミュケーションに支障をきたす障害を持つことになろうとは思いもしなかった…。
まさに青天の霹靂、人生万事塞翁が馬の体験させてもらったというか、これからも続くのか…。
息子のことがきっかけとなり、仏教への造詣も曲がりなりにも深くなったが、自分の持論をひもとけば、これも「因果応報」なのか…?!
発症当時、原因不明だったこともあり、現状では今の因果を探し出す要因はみつからないが、それはあの世にいって閻魔様からご説明があると思うので、今から楽しみにしている次第だ。
でも現実的には、酒の飲みすぎ、生活習慣悪さからきたたたりかと…。
こんな還暦前のオッサンの投稿を、最後まで読んでくれている人がいるとは思ってはいないが(ちょっとだけ思っている…)、これだけでは尻切れ状態になってしまうので、もう少し書き足そうと思う。
今俺は仏教マーケティングアドバイザーとして、極めてアクセスの少ないサイトを運営している。
と既に書いた「これ。」
現状は、生計維持のため障害者雇用の一契約社員として従事していることも書いた。
これは、今の偽りない自分の姿。
問題は、そんな現状を突破して、成りたい自分になれる日が来るのか来ないのか。
それとも、もうすぐ寿命が来て、人生のゲームオーバーを迎えるのか?!ということ。
俺。コージリの成りたい自分とは…?!
誰にも拘束されない自由な時間を獲得し、自分の得意なことをビジネスにして価値の提供を行い、老後の心配もいらないくらいに稼ぎ、そのビジネスを生きがいにして家族とともに幸福に生きていくこと!
それは最後に自分の好きなことと、得意なことを自己PRしてお仕舞いにしたい。
・現状は満足に話すことが出来ないので、書くことだけが生命線!
だけど元来、書くことは好き!
(息子をモチーフに童話の出版経験あり。)
これからもコピーライティング、セールスライティングを極めるぞ!
・今はダメダメでも、人間関係においては、最終的には自分はいつでも勝ち組になれた。
なので、人間関係を優位にしていくすべは知っている。
起業当初はこんなサイトも出していた。
職場の人間関係改善マニュアル
・空手道師範としての経歴、高校より足かけ30年くらい従事していた。
親父が教員だったので、元来が教員志望。
なので、教えることが好き!
・高校野球をこよなく愛す!コロナ世代の球児たちへ思いは人一倍!
だ から、甲子園大会の中止が決まった時は球児たちの将来のトラウマに なることを案じて、酒を飲みながら大いに泣いた!
一方、ビジネスとして「村おこし」のトリガーとして地域活性化と甲子園出場をセットで起業できないものか?(高校野球憲章上好ましくないらしいが…)と考える自分もいる。
・聴覚障害ある子を持つ親として、その経験と実績を活かし「障害者が夢を叶えるための突破力セミナー」などやってみたい!
・言語障害になる以前は、早口でマシンガントークの異名があった。
今はできないが、トーク営業は得意だった。
言語障害者が強みになること「なんかない?!」
これでやっと、一応の気が済んだ!
無駄かもしれないけど、言いたいこと、書きたいこと、背伸びせず等身大の自分をアピールするのがnoteデビューの本願だったから、とりあえず満足…。
これからは、日々成長の記録と、障害者になって気づいたこと、障害者現場事情など、随時発信していこうと思っている。
自分は普段「僕」とかいわないので、今回は「俺」という、いでたちで書いてみたが、これからは「自分」「私」と名のり「だ、である調」や「です。ます調」「体言止め」を織り交ぜながらの投稿になると考えている。
もう今日は、この辺でよかろう~!
ここまでの長文、駄文、誠に失礼つかまつった!
最後までお読みいただいた方々、有り難うござり申す。
かたじけない!
これに懲りずに、一日一ミリの成長をモットーにする還暦前コージリおじさんの前途を、これからも
「どうぞご笑覧あれ!」
ではでは。