
どめ11「不快だけれど心地いい」
僕がちゃんと仲良かった人の中で一番邪悪だったのは,中学校で1個上の先輩だったFだ。Fは僕が二年生の頃にサッカー部の部長をしていて,僕はその頃確か副部長だった。もしかしたら,副部長みたいな面した一般部員だったかもだけど,細かいところはすっかり忘れてしまった。
僕の中学は陰湿な東部東京ノリと最悪にうるさい体育会ノリが合体した悪魔の巣窟みたいなところだった。今考えると最悪な奴らばっかりだったけど,当時としてはまぁ,それなりに楽しかったんだと思う。別に毎日が最高の連続というわけでは無かったけど。
そんな悪魔の巣窟の中でも最も邪悪で最も陰湿だったのがFだった。Fはまず喧嘩が強かった。細身なのにやたらと力が強くて,人を傷つけることを何とも思っていないような奴だった。なんでこの時代にこんな奴が生まれたんだろうというくらいに。
それに加えてFは狡猾だった。嫌がらせをさせたらFが一番だった。いつもどうしたら相手が嫌がるかをずうっと考えているような奴だった。これはあるあるだと思うんだけど,悪ふざけをしている奴らの中で目をつけられて怒られるのはいじられ役のやつで,一番ワルさをしている奴はうまいこと逃げていくもんだ。そんな様子を描いたバナナマンのコントを載せておく。
Fは狡猾で暴力的で最悪な奴だったけど,どこか抜けてて可愛げがあった。まぁあほくさいことをよく言っていたのだ。
Fが英語の勉強に熱心だった一週間があって,その一週間はやたらと機嫌が良く,皆恐怖におびえていた。Fはいつも憂さ晴らしみたいにボールを思いっきり蹴っていたが,その一週間はボールを蹴るたびに英単語を叫び散らかしていた。僕はこんな奴にもかわいいところあるものだなと感心した。
Fは陰湿で狡猾だったけど,いじられ役でもあった。というか僕らの中学にいじられ役じゃない奴は存在していなかった。全員いじられていたし,攻撃しあっていた。攻撃することが挨拶だった。攻撃しなければ攻撃されっぱなしなので,僕らに攻撃しないという選択肢はなかった。
その様な状態を深刻に受け取る人もいれば深刻に受け取らない人もいた。僕は深刻に受け取らない派の人間だった。特別に裕福な家庭なんて存在してなかったし,親とか家系とか経済状況とかは関係なく,ただ己の存在が強いか弱いかみたいな,そういう弱肉強食な社会だった。と思う。知らんけど。
まぁそれはそれで心地よかった。自由だった。建前とかはあんまなかった。僕の観察外ではあったかも。正しく醜かった気がする。まぁ醜いので最悪だったけど。
高校に入ってからは本当に育ちのいい人たちと巡り会って,そのぬるま湯の中ですくすく育ったので,弱肉強食的なコミュニケーションをする機会は中学以来無くなった。もちろんFみたいな奴はいなかった。実際にはFみたいな奴らもいたんだけれど,そいつらも牙を抜かれてしまっている感じだった。そいつらは不思議と全員同じ特別区出身だった。ただのベットタウンなのに,不思議なこともあるもんだなと思った。
中学の時の最悪だけど心地いいっていうのは,今思えば不思議なかんじだった。
毎日不快なことの連続なのに,不思議と皆活き活きしていた。
どこかお互いへのリスペクトがあったのかも。実は。
いい奴らだったのかもしれない。よくはないかさすがに。
少なくとも今通っている大学よりは心地よかった気がする。不快じゃないだけで居心地はよくないからな大学って。大学が悪いわけじゃなくて,年齢の問題な可能性もある。中学生ってまだまだピュアですから。それがよかったのかもな。
邪悪な奴らにもかわいいところがある。というのは僕にとっては当たり前のことだった。邪悪っぽい奴も話してみると楽しかったりする。普通に。どっかが僕と違うだけ。それが決定的なところで違うから,こっちもあっちも過剰に警戒してしまうように感じる。
リベラルは公立中学を卒業してからにしな!!
リベラルの人たちは優しいので,他人の不幸にも自分の不幸にも敏感だ。それは良いことではないかと思う。かく言う僕も立派なインテリ崩れなので,共感できるところが多いのはもちろんリベラル側の主張だ。
社会にはびこる数多の不正義を摘発していくという機能を担う社会の白血球。彼らのおかげで社会が健康を維持できるのは全くもって間違いない。しかし,白血球も時には暴走する時があるらしい。
邪悪な奴らの邪悪な部分を否定するのは簡単だけど,邪悪な奴らの綺麗な部分に注目しないと,本当にその人たちがもたらす害を止められやしない。
みんなもっと仲良くしようやってでかい声で言いたいよ。
不快だけれど心地いい でした。