写真と知識
今の時代、何の知識もスキルもなくても、誰でもいつでもどこでも簡単に写真を撮ることが出来ます。特別な道具も準備も必要ありません。ただ、手持ちのスマートフォンの写真機能を起動するだけです。しかも、必要なら同じスマートフォンの中で写真の編集まで可能です。
そんな時代に、写真の知識とはどんな意味を持つのか?
写真知識を持つ意味
どんなジャンルでもそうだと思うのですが、知識を持って良いた方がないより広がりがある気がします。例えば、スマホやデジカメで写真を撮るなら、シャッターを切ることさえ出来れば、何かは写ります。
でも、フィルムカメラやクラシックカメラとなると、そのカメラに対する知識やフィルムに対する知識がないと、極端な場合シャッターさえ切れません。フィルムカメラ、クラシックカメラに関する「知識」があると、「フィルム写真」という世界に足を踏み入れることが出来て、写真の世界が広がり、表現の幅が広がるということになります。
例えば、↑上のカメラのように、露出(絞り値とシャッタースピード)の決定や、ピント合わせがすべてマニュアルです。普通に撮影するだけでも、知識と経験が必要です。大変なようですが、このようなカメラで撮影が出来るようになれば、その知識や経験をいかして現在使用できる大抵のカメラで撮影が可能になりますし、最新のデジカメでも基本的には、絞り、シャッタースピード、ピントが写真撮影の基本的な要素であることに変わりはないので、写真表現や被写体へのアプローチの幅が広がることでしょう。
わたしの写真世界を拡げた本
↑上の本は、わたしの大好きな写真エッセイシリーズ、渡辺さとるさんの「旅するカメラ」(1〜4)の2冊目ですが、この中で、露出決定の考え方で、「(ISO)感度分の16」という考え方が出てきます。詳しくは、本書をお読みになるか、検索してみて下さい。
わたしは、この「感度分の16」に出会って、フルマニュアルのフィルムカメラをドンドン使えるようになり、自分の写真世界が大きく広がり、写真が益々楽しくなりました。
ときに、知識や経験が固定観念となり表現や行動の自由を妨げることがあるのも事実ですが、知識や経験を得ることによって広がる世界があり、さらに新たな疑問を産むきっかけになりってドンドン深まっていくのも楽しいモノだと思います。そこで、大切なのは行動すること、写真ならドンドン撮影してみることだと思います。
本や資料を読みあさり、ネット記事やレビューをたくさん見て知識を頭に詰め込み、いくら頭で考えても、撮影(行動)しないと得た知識も活かすことが出来ないし、新たな経験・体験も得ることが出来ません。
知識を得ることと、実践して体験する事を繰り返すことが寄りより写真体験素敵な写真へと向かう道の一つなのかなぁと想っています。