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23時のノート

特に決めたわけではないのだが、気付いたら23時台にアップすることが多い。この日付変更線との闘い。そんなドM要素なんぞ不要なのに、今日も懲りずに23時過ぎに書いている。

1日の終わりに自分の中に残った単語をテーマにして書くと決めたせいか、1日の〆にとも思うし、なんだかんだしていたらこの時間ということもある。あとは何も残っておらず、どうしようと悩んでいるうちにということもある。まさに今日だ。

何も残っていないというのは、今日が初めてではない。昨日のカーディガンの穴もそうだ。無理くり探しているのだが、今日は浮かばないし、しっくりこないしで、現状を書いてみた。でもこうして文字に起こしてみると、何も残っていない1日って。たまにならまだしも、週に何度もあるのは問題があるのではと不安になってきた。むしろ引きこもっている日の方が書ける気がする。日常を過ごすことの方が感覚が鈍るのだろうか。毎日のことほど感動はないのだろうか。

以前書いた手帳アカウントさんたちの投稿に、自分の体調やテンションなどの調子を記録する人が結構な数いた。ハッピー、良好、普通、しょんぼり、悲しい…などの調子を顔のシールなどで記録している。こうすることで体調の波を可視化できて良いようだ。

毎日単語を探すようになり、なんだかこの体調シールと同じような気がしてきた。見つけやすい日もあれば、単語どころか言葉すら考えたくないこともある。この単語に対する感覚が彼女たちの体調なのだ。私の体調次第で浮かぶ単語も言葉に対する意識も変わってくる。そして気にかけていないと見逃してしまう。手帳アカウントさんの体調も気にしていなければ、シールを選べないのではないか、と。私なら気にしなければ”普通”しか選ばないだろうな。ハッピーが多い方が良いのだろうか。そう思うから、自分の言動に気をつけつようになるのだろうか。ならば、私のこの1日の単語も気にしながら過ごせば、意識、言動が変わってくるのだろうか。

こうして今日も残り9分となった。この辺りで公開ボタンを押したいところだ。

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