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【文学】阪神大震災で全壊の谷崎潤一郎旧邸「鎖瀾閣」VRで復元、1月公開。大阪のNPOが計画。

うちの近所に、あったような気がします。

全壊して、30年かあ・・・。

平成7年の阪神大震災で全壊した谷崎潤一郎の旧邸「鎖瀾閣(さらんかく)」を仮想現実(VR)技術で復元するプロジェクトが進んでいる。

関東大震災後に神戸に移住した谷崎が唯一、自ら設計・建設した邸宅を後世に伝えるべく、大阪のNPO法人が計画。

クラウドファンディング(CF)で600万円の資金を調達する目標を立て、阪神大震災から30年の節目となる来年1月の公開を目指す。

■引っ越し42回の「転居魔」、谷崎潤一郎

プロジェクトを手掛けるのは、大阪府池田市のNPO法人「潤」。

理事長で武庫川女子大名誉教授のたつみ都志さんは谷崎の研究を約40年続けており、「鎖瀾閣の資料を後世に伝える仕事は、復元に取り組んできた私の使命」と力説する。

たつみさんによると、谷崎は79年の生涯で42回、関東大震災後に阪神エリアに移り住んだ21年間で13回の引っ越しを繰り返した「転居魔」だ。


阪神・淡路大震災で全壊した谷崎邸「鎖瀾閣」。

谷崎の旧家の中では、小説「細雪(ささめゆき)」の舞台となり、現在は内部を見学できる「倚松(いしょう)庵」(神戸市東灘区)や、住友グループの日新電機が迎賓館として活用する「潺湲(せんかん)亭」(現・石村(せきそん)亭、京都市左京区)が往時の面影を残す。

モテモテの大谷崎。羨ましい限りである。


■谷崎の「美意識」象徴させた「鎖瀾閣」

小説「蓼喰(たでく)ふ虫」に出てくる家のモデルとなった「鎖瀾閣」は、この2軒と並び、たつみさんが関西において後世に伝えたい谷崎の旧家の一つだという。

鎖瀾閣での生活は昭和4年からの約4年間。

和洋中それぞれの様式が外装や内装に表れ「当時、谷崎の中に混在していた美意識を象徴する建物」(たつみさん)と位置付ける。

その後、ドラマの撮影に使われるなど良好な状態で維持されていたが、阪神大震災で全壊した。

たつみさんは震災直後から約14年間にわたり、邸宅再建の資金集めなどに尽力し、神戸市東灘区の公園の拡張予定地で建設間近まで手続きを進めた。

しかし、法規制の壁に阻まれ実現に至らなかった。

在りし日の「鎖瀾閣」。


■邸宅再建は断念

リアルな邸宅を再建する計画は断念したが、令和3年の長崎訪問が、鎖瀾閣の写真などの資料をVRによって後世に残す活動の契機となった。

長崎市の端島(はしま)(通称・軍艦島)を紹介する「軍艦島デジタルミュージアム」(同市)で、ゴーグルを装着してVR映像を見た際、現地ツアーでは近づけない島内の建物や端島神社などを実際に散策しているかのように没入したという。「これだと思った」

「軍艦島デジタルミュージアム」のVRコーナー。

専門家に相談し、これまで集めた建物内外の写真や、写真をもとに一から作成した設計図を活用し、鎖瀾閣のVR映像を制作することを決めた。

たつみさんは、建物細部の再現などで制作会社にアドバイスするなど、より精密なVRの実現を目指している。

完成したVR映像は、阪神大震災から30年にあたる来年1月17日、動画投稿サイト「ユーチューブ」で公開する青写真を描く。

■資金調達へ寄付呼びかけ

同時並行で600万円の資金を集めるため、今年7月にCFによる寄付募集を始めた。今月14日時点で寄付額は30万円弱だが、CFは10月15日まで、同法人では年末まで寄付を受け付ける。

たつみさんはVR映像の制作について「谷崎が愛した鎖瀾閣をより多くの人に知ってもらうためにも、やらなければならない」と力を込め、寄付への協力を呼びかけた。

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