【昭和の縁起物】🎫50〜60歳代には懐かしい流行したハッピーグッズ三選。
Z世代の人には、わからないでしょうねえ。
なぜ、こんなものをお守りにしていたのか。
「昭和」時代に流行った縁起物を3つご紹介します。
◆◇◆
■「幸福行きの切符」
1974年。
小学校4年生の頃、突如、AMラジオから、こんな歌が流れてきました。
♬ 幸福行きを 2枚 くださ〜い〜 ♬
芹洋子さんの「愛の国から幸福へ」というフォーク歌謡調の歌でした。
それと同時に、「愛国⇒幸福」間の国鉄(現:JR)の切符が、飛ぶように売れたのです。
基本的に、「恋愛のお守り」として、彼と彼女が同じ切符を持つという若い世代での大ブームでした。
何故、ブームになったのかを、ウィキペディア先生に教えていただきましょう。
今では、幸福駅のあった北海道の広尾線は廃線となってしまったようです。
JRに移行したときに、廃線になった鉄道は多かった。
日本人は「合理化」「新自由主義」という経済優先政策をとったために、いろんな心のよりどころを失ったんです。
◆◇◆
■「星の砂」
これは、いまでも、南のほうへ旅行すれば売っているでしょうか。
私は旅行が大嫌いなので、まったくわからないのですが。
1980年代、大ブームを巻き起こした「幸せになれる沖縄の星の砂」。
バブル前夜で、夏になると若者は、沖縄などへ飛行機で行き、真っ黒になりました。
夏には紫外線を避ける・・・のが常識になった令和の時代では信じられないと思いますが、1980年代には若い女の子は夏はビキニで真っ黒に日焼けするのが常識でした。
「星の砂」が拡がったのは、「おみやげ」として単価が安かったからでしょうね。
沖縄土産、ハワイ土産に、「星の砂」。
「しあわせになれるわよ」
と会社で配る。
で、流行したのではないでしょうか。
ちなみに、小柳ルミ子は、ブームに乗って「星の砂」という曲を発表。
なんと作詞したのは、役者・タレントの「関口宏」さんです。器用なんですね、司会はダメになったけど。
◆◇◆
■「甲子園の土」
まあ、これは、甲子園球場で高校野球を続ける限り。
「阪神園芸」さんが、倒産しない限り。
試合の出場した生徒の「思い出」として持って帰り続けるでしょう。
そこで、「甲子園の土を最初に持ち帰ったのは誰?」という疑問がわきます。
二人、「この人ではないか?」というふたつの説があります。
①1937年夏の甲子園に出場した熊本工の川上哲治選手
甲子園出場後、巨人に入団し、選手・監督として多大な功績を残した川上哲治選手も、甲子園の土を最初に持ち帰った人物とされるひとりです。
第23回大会にて、愛知の中京商に敗れた川上選手は、球場の土を靴下に入れて持ち帰り、後輩たちの未来が甲子園へとつながるよう、母校が練習場として使っていた水前寺球場に撒いた。
②1949年夏の甲子園に出場した小倉高の福嶋一雄選手
大会3連覇をかけた第31回大会、倉敷工との準々決勝にて、延長10回の末にサヨナラ負けを喫した福嶋選手が、もうろうとしながらユニフォームのズボンのポケットへ球場の土を詰めたのを、大会審判副委員長が見ていたようです。
敗戦から2日後、一通の手紙が届いたことで無意識のうちにポケットへ球場の土を詰めていたと知った福嶋選手は、自宅のゴムの木の植木鉢にその土を入れ、その後もずっと玄関に置いていたそうです。
私は「アンチ巨人」なので、福嶋さんであって欲しいです!
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