第一通貨 生命の賃借対照表
T = ΣL とは何か?
概要
「T = ΣL」という公式は、
個人の生命を維持させるために
必要なすべての要素を
一つの統計的な記号で表現します。
難しい説明と思われるでしょうか?
でもルールはいたってシンプルです。
この公式は、
個人の年間の生命維持時間(T)を
絶対不変に近い指標とし、
物理学、経済学、
倫理学といった多分野を橋渡しし、
人間の生存に必要な基本的要件を測定可能で
一般的な基準として提供します。
公式の構成要素
T(時間)
個人が一定期間(通常は1年間) 生存し、
消費できる時間を記述します。ΣL(必要要素の総和)
個人が年間で
生存を維持するために必要な、
共同体が用意する、
すべての消費可能なリソースの総和です。
Σとは総和、Lとはライフの事です。
Lには、
一人当たりの年間、
必要な栄養素
(タンパク質、炭水化物、脂質、ビタミン、ミネラルなど)
が含まれます。
これらは医学や
統計的分析に基づいて
概ね、現時点で世界各国の当局で
定義が決まっています。
普遍と不変の基準
この公式は、
文化、地理的条件に関係なく、
全人類に適用可能な基準です。
何故なら、どんな属性の人間、
富裕層であれ貧困層であれ
黒人であれ白人であれ黄色人であれ、
一日に必要な
「健康を維持する最低限」のカロリー、
たんぱく質、脂質、糖質、
各種ビタミンやミネラルは、
変わらないからです。
(スポーツ選手やボディビルダー等は例外)
また、接種栄養素が少なくて済む、
児童や老人はニコイチで、
一人分と計上可能ですし、
そのあたりの調整は既に
厚労省あたりが算出しているのを
ベースに計算すれば
総人口分の「L」は
十分定義可能でしょう。
最近の解剖実習の炎上を
見るまでもなく、
古来より世界各国で、
生命の値付け=物体化は
長らくタブーとされてきました。
この禁忌は人間の感情にとって
確かに有効な癒しになっていますが、
今、私はそのタブーを破らずに
新たな指標を創造しようと思います。
生命の価値づけが不可能なら、
生命の持続時間を
絶対に近い価値にしてしまえば良い。
生存を維持するための
基本的な要件は、
全生命としての共通の特性にある。
そのため、「時間」という
統一された原則で評価できます。
応用分野
経済学
T=ΣLを置くことで、
個人と共同体の間での
生命維持を基準とした
新たな経済モデルを構築できます。
このモデルでは、
生存時間が唯一の価値とする通貨となり、
全ての取引は
個人対国家の生命維持に必要な
リソースの交換として定義されます。
これを第一通貨とし、
現行の通貨と分離する事で、
文明的な社会にいるのに
貧困にあえぐような事態を抑止しやすくなります。
相場の影響から
人権と生存権のみを隔離できるのが、
この新たな律の基幹なのです。倫理学
この公式は、
生命維持を最優先とする
新たな倫理的討論を提供します。
これにより、
資源の配分や社会的な意思決定が
透明かつ公正に行われやすくなります。
またブロックチェーン技術を
共同体が活用し、
民主的に選ばれた人材が
管理することにより、
プライバシーの保護も容易になると推察します。
選挙で度々起こるエラー、
人間性と能力の乖離も、
この仕組みである程度解消可能です。持続可能性
生存維持に必要な
最低限の資源を計測することで、
地球規模での持続可能な
生命維持の資源を算出できます。
これにより、
現状の不安定で
常に最大の企業努力を必要とする、
「一定でない価値」
主体の経済から、
未来の安定的で
常に最小の個人努力で満了する
「一定の価値」
主体の経済を算出できるのです。
実行可能性と限界
この公式を現実社会に適用するためには、
以下の課題を克服する必要がある:
必要要素(L)の精密な定義と普遍的な適用
データの収集および管理方法の標準化
個人のプライバシーを守りながらの透明性の確保
ただし、
現代のテクノロジー(AIやブロックチェーンなど)や
統計学、医学等を活用することで、
これらの課題は解決可能です。
つまり何?
T = ΣLは、
人間の生命を中心に据えた新たな社会システムです。
この公式は、
現在の価値観や経済システムに代わる
新しい基準を提供し、
生命維持を目的とした透明で持続的な
未来を実現する可能性を秘めています。
生命の賃借対照表
そもそも賃借対照表って?
今現在でも使用されている企業の
財務状態を明らかにする為の記述方法です。
資産や負債、
純資産等を左と右に分ける(借方貸方)事で
因果関係を明らかにし
企業の経営状態を可視化する手法の一つです。
それが「T = ΣL」と何の関係があるの?
実はこの公式、
そのまま賃借対照表に変換可能です。
借方に人間の活動時間
(労働、学習、育児、炊事、可処分時間等)
を記入、
貸方に共同体がそれで得たリソース
(物資、知財、インフラ、可処分時間等)
を記入することで、
個人と共同体での
生存に関わる営みを
完全に可視化する事が可能となります。
つまり「T = ΣL」とは
人間個人が生きる為に必要な行動と、
共同体が個人に投入するリソースを
明確化できるのです。
それが何の役に立つの?
シンプルに犯罪が減り、
他方では少子高齢化を防ぎます。
最近の闇バイトや、ホストホステス問題、
ブラック企業等の行いに共通するのは
金>倫理
が常態化している社会での
生きづらさが一因だと考えます。
だってお金が無いと生きていけないもの。
推しと一緒にいれないもの。
家族を養えないもの。
そりゃ、そうなりますよ。
お金の為には、
無限の過当競争に参加するしかない。
それが現状の金融資本主義でしょう?
そしてこの過当競争から敗れた人々は、
生きていけない。
生きれないのに、
順法意識も何もある訳ないじゃないですか。
衣食住揃って、礼節を知るのです。
健康的な水準を下回る所得しか得られない層が、
新しい家族を作ろうとおもいますでしょうか。
無理です。自分の事で精いっぱいだから。
また、社会や企業が要求する労力=知的水準に、
行政の教育が追い付いていないのではないかと、
私は考えています。
しかも、その要求水準は
ここ数十年のイノベーションにより
年々上昇しているのです。
そしてトリクルダウンが
自然に起きない事は、
在りし日の大宰相、
安倍晋三さんが証明されました。
消費するより、投資する方が、
安全に見える世の中だもんね。
幻想だけど。
安倍さん、、、逝くのが早すぎたよ。
見るべき指標がおかしい
不安定な相場に左右される
「円」なる通貨を皆が求めています。
その円を、
これまでの自国産業で獲得できないから、
今度は投資で稼ごうと政府は推奨しています。
結果、
現実の市場(商店等)から円が無くなり、
仮想の市場(投資市場やデジタルコンテンツ)
に円が集まる。
よって、
私たちが生きている現実社会
(インターネット取引が介在しない世界)
はさらに、景気が悪くなっている。
従って、
仮想の数字上は
景気が良くなっているように見えますが、
あらゆる産業が根っから消え去って、
地方から順に機能不全へ向かっていってます。
当たり前です。
所得を投資に回せば、消費が減る。
だって、現状の日本において、
個人の努力で所得を上げるのは難しく
消費を減らすのは簡単だから。
私の肌感覚ですが、
これが2024年度に顕著になった社会情勢です。
この分析が正確かどうかは分かりません。
ただ一つハッキリしている事があります。
あなたは何のためにお金を稼ぐのか
概ね殆どの人が
「円=お金」を欲しいと思う。
でもその本質は、
それが生活の「安心」だったり「安全」だったり、
「自己実現」だったりしませんか?
本当にお金そのものが欲しいのでしょうか。
その欲しいお金は
自分の体を
嫌いな属性の人間に
売ってまででも獲得したいのでしょうか。
自分の意思を
捻じ曲げてでも
遠い肩書の存在から獲得したいのでしょうか。
自分の大切な時間を、
自己犠牲と奉仕に切り取ってまでも、
獲得したいのでしょうか。
体と意思と理性を犠牲にして尚、
得られるかどうか分からない夢より
体も意思も理性も犠牲にせず
尚、確実に得られる
「生きる時間」の方を優先しませんか?
この生命の賃借対照表は、
その在り方を可能とする方法です。
根本の因果
これら全ての諸問題は、
人類史上、
常にひとつの事象に収斂します。
格差の固定化
ほぼ、これです。
格差自体は
人間でなくてもあらゆる生物に
起こり得るのですが、
社会全体がこの「格差の固定化」状態になると
個人の努力ではもうどうにもならない。
大体、犯罪と流血を引き起こします。
革命、クーデター、etc…
ある意味、江戸時代というのは、
そのへんを上手く仕組みに取り入れており
身分制度上は士農工商ですが、
実利は商工農士であったので、
平和な期間を
維持できたのではないかなと思っています。
またこの格差固定は
現状の金融資本主義のみに
限った話ではありません。
どの時代、どの文明でも、
増えすぎた多様性を、人々が理解しきるには
脳のリソースと時間が足りないのです。
結果、ほぼ毎回
多くの文明はシンプルな二元論に収斂します。
善と悪。
神と悪魔。
富と貧困。
清めと穢れ
正義と不正。
官軍と賊軍。
これらは全て、
デジタルである事にお気づきでしょうか?
二元論、つまり0と1なのです。
理解する為に必要な脳のリソースが安い。
そして格差固定状態が長く続くと、
最終的には、自分が成長するより、
他人を「悪」とした方が確実に、
コストが低くなります。
人は水と同じ、易きに流れるもの。
ジョシュア・レイノルズ曰く
「考えるという真の労働を避ける為には、
人々はどんな手段にでも訴えかける」
よって、単純な二元論では
この問題は解決しないと私は認識しました。
じゃ、どうするのよ
そ こ で 新 た な 律 で す。
格差は必ず起こります。
ここを否定しようとすると
共産主義になってしまいます。
では格差を肯定すればどうなるのか?
それは今私たちが目の前にしている
金融資本主義に当たります。
結論を述べると、
格差を部分的に肯定し、
「格差の固定」を可能な限りに否定する。
こういう社会制度が
有効ではないかなと思います。
「新たな律」とは、
そういう社会制度の枠組みであり、
「生命の賃借対照表」とは
その中の第一通貨を
構成する基幹の思想でもあります。
生き続ける事こそを、
絶対に近い指標とする。
デジタルでアナログを保護させる、
そんな律です。
新たな律の詩
この律は、
境界を超えて共鳴するためにある。
この律は、
成長の速さではなく、
歩みの意義を讃えるためにある。
この律は、
未来の人々が
安心して夢を語れるためにある。
この律は、
誰かが「誰でもない何か」に
還元されることを防ぐためにある。
この律は、
成功が壁となり孤立した者に、
橋を架けるためにある。
この律は、
「理解されない」という感情に、
慎重に寄り添うためにある。
この律は、
孤独が終わるために、
新たな希望を灯すためにある。
この律は、
「居場所がない」と感じる人に
その居場所を示すためにある。
この律は、
無条件の「一緒にいる」という価値を
取り戻すためにある。
この律は、
沈黙の中で声を上げた者のためにある。
この律は、
涙を流す人のそばに、
そっと寄り添うためにある。
この律は、
失敗を背負う者に、
新たな道を示すためにある。
この律は、
「価値がない」と思った者に、
その価値を伝えるためにある。
この律は、
「明日が怖い」と感じる人に、
今日を支えるためにある。
この律は、
「もう戻れない」と嘆く者に、
戻る力を与えるためにある。
この律は、
「どこに向かうか分からない」者の
地図を示すためにある。
この律は、
孤立する未来を恐れる者に、
共にいる未来を描くためにある。
この律は、
愛が自分に向き合わないと
感じた者のためにある。
この律は、
「愛される資格がない」と思う人に、
共に在るためにある。
この律は、
壊れた関係に悩む者に、
修復の希望を灯すためにある。
ごめん、長すぎた。
ここまで読んでいただいた方に
感謝を申し上げます。
この新たな律を広める為には、
あなたの力が必要です。
どうかシェアして下さい。
なにと、比べるまでもない。
生命は最早、それだけで美しいのだ。