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【掌握小説】坂道と青白い人
そのマンションは、天井川の堤防に向かう急な階段に沿って建てられていた。沿ってというよりは並んでが正確なのだろうが、5階建てのマンションの1階から3階の高さまで上っていく堤防の階段は、遠くから見るとマンションの外階段のように見えた。
天井川は、新しい川ができた後も切り下げられずに公園として整備されたので、堤防は以前の高さを保っている。堤防の上は、サイクリングロードを兼ねた歩道として利用されているが、もともとは軽自動車が一台通れるほどの管理用通路であり、その両端に桜の樹が植えられたのだが、今では、その桜もずいぶんと大きくなった。
春になり桜が満開になると、この公園に人がどっと押し寄せて来る。公園には、桜以外にも、チューリップやヒヤシンスが咲いていて、家族連れが休日を過ごすのにちょうどいい空間なのだ。
だが、そんな休日の公園に私は縁がない。私は、駅までの通勤にこの階段を利用しているのだ。階段を上り堤防を乗り越えて公園に下り立ち、小道を抜けては、また対岸の堤防を上って下る。すると、すぐそこに、いつもの駅がある。雨の日も風の日もこの階段を使って駅に通っていた。
桜が満開で、晴れていて、風が強い日は、すこぶる気分がいい。
想像していただけるだろうか、マンションの3階の高さから、桜の花びらが一斉に舞い落ちてくる姿を。頭のはるか上空から花びらが降降り注ぐのだ。いつしか人はこの階段を桜坂と呼ぶようになった。
そんな風の強いある日、マンションのとある窓が開け放されているのに気がついた。階段を上るたびに、表の1階の部屋から2階の斜め上の部屋へと目の高さが合う部屋が移って行くのだが、ちょうど2階の部屋と目の高さが合った時、いつもは閉ざされている窓がまったく開かれて、白いレースのカーテンが部屋の内側にあおられているのが目に入った。風でゆれ動くカーテンの隙間から、時おり部屋の中を覗き見ることができるのだが、どうやらその部屋はダイニングのようで、木製のテーブルの周りには4脚の椅子が置かれていた。
中は暗く奥まではっきりとは見えないが、人の動きはないようだ。
「いったいどんな人が住んでいるのだろう。」と考えていると、一瞬、強い風が階段の上から吹いてきて、桜の花びらが一枚、窓の中に飛び込んで行った。私は風の痛さに耐えきれず思わず目を閉じてしまった。
「おはよう。」
私はあの部屋の中にいる。
向かいに座る娘は、おどろいたように私を見ている。
「どうした。そんな顔をして・・・。」
妻が、クロワッサンとサラダを載せた皿を私の前に置いた。
次男は、そんな姉をお構いもせずに隣でクロワッサンをパクついている。
やがて、妻も自分の皿を持ちながら私の横に座った。
すべてがこのとおりだった。
私が青白い人になるまでは。
「いってきます。」
その日もいい天気だった。
いつもと同じ道を通ってあの階段を上りはじめると、堤防の上から、いつもと同じように桜の花びらが舞い落ちてきた。私の青白い肩に、背に、腕に桜の花びらがくっつき始める。
2階の高さまで上ると、私は私の部屋を見つけた。窓は開け放たれたまま、カーテンは内側に向けてゆれ動いている。木製のテーブルの周りには、私を含めて4体の青白い人が向き合って座っていた。
「知るもんか。」
振り向かず真っ直ぐに階段を上っていくと、さらに強い風が吹き付けた。
私の、青白い肩を、背を、腕を、桜色の花びらが襲いかかる。花びらが身体に当たるたび、私は、小さな痛みを感じた。
花びらが私の身体に貼り付いて積もり、ついには、私を覆いつくしてしまった。
青白い私が桜色に混ぜ合わされて、溶けて消えて、なくなった。
すっぽりと私が抜け去った跡の桜の山から、一枚の花びらが空に向かって舞い上がっていく。
そんな私の姿を、花見見物に来た青白い人たちが面白そうに見上げていた。
それは、青空がとてもきれいで桜が満開の日の出来事だった。
(おわり)
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