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完結した今だからこそ「Thisコミュニケーション」について語ろうと思う(途中からネタバレあり)

本作「Thisコミュニケーション」についていきなり核心たる感想を述べたい気持ちもあるが、PRしないのはあまりにも作者に申し訳ないので(=そう言わしめる傑作漫画なので)、一巻部分の紹介をした後に最終巻までの感想をぶちまけようと思う。

学校でも職場でもどんなコミュニティであってもいいが、どこにでも嫌な奴はいるもので、そいつさえいなければうまく回るのにな~という場面は往々にして存在する。さて、どう対処すればいいか?

これはマネジメントの問題なのか、コミュニケーションの問題なのかによってそれなりの説得力があるっぽい答えは変わるのだが、場所は戦場で、なおかつ本作の主人公デルウハに尋ねれば答えは明快で簡潔。「殺せばいい」と答えるだろう。倫理観が欠如した合理主義者であり、味方殺しの悪癖を持つ軍人デルウハであればきっとそう答える。

舞台となるのは1980年代くらいで技術進歩が止まった現代社会…なのだが、もっぱら上高地の山頂付近で雪に埋もれた研究所が舞台になっているのでたとえ読んだとしても日本が舞台という意識は持たないだろう。なぜ舞台が固定されているかと言えば世界が「イペリット」の侵略によって滅亡寸前だからだ。

イペリットは列車サイズのヤツメウナギを想像してもらうのが手っ取り早い。要は人間が戦って敵うような相手ではない。

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人間では勝てないのならば人外に頼るしかあるまいというわけで、研究所はイペリットに対抗するために人体に改造を施し、怪力の少女6人を創り出した。彼女たちはハントレス(huntress, 女狩人)と呼ばれる。自己承認欲求の塊で、イペリットを倒して認められたい思いで飛び出していくが、戦闘の度に数名は死者が出る。

6人しかいないのに死者が出ていたらすぐさま崩壊しないか?大丈夫である、不死身だから。正確に言えば、死んだタイミングから1時間前の状態への再生が行われる。肉体の損傷は巻き戻り、1時間前までの記憶が残った状態で再起する。

不死のベニグラゲ

主人公デルウハはハントレスの指揮を執る。軍事を修めた彼の指揮で迫りくるイペリットの脅威を退ける話…であったらすぐにアニメ化されたろうが、本作の主旨はそうではない。

ハントレスは未熟な少女であるため、指示には従わないし、仲たがいはする。まとめ上げるのは一苦労だ。さて、どう対処すればいいか?
イペリットとの戦闘が日々発生し、指揮官がデルウハであるのだからば答えは明快で簡潔。「殺せばいい」と答えるだろう。

死んだタイミングから1時間前の状態への再生が行われ、殺される1時間前までの記憶が削除されて再起するのだから、疑似的なタイムリープを引き起こせる。指示に背くと予想されるメンバーには指示に工夫を加えればよいし、チームメンバー間の仲たがいの原因も事前に取り除ける。 本作は「殺害による記憶操作によりハントレス部隊を掌握しつつ、迫りくるイペリットと対峙するサスペンス漫画」である。怪物「イペリット」を殺すために怪物「ハントレス」を殺す、悪魔のような男の物語だ。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

ハントレスは見た目が中学生くらいの少女であり、哀れな被害者である。何者にもなれないから功を急いで他者を出し抜こうとするし、認められたい、褒めて貰いたいと戦場に出向くが、デルウハは彼女たちを容赦なく葬り去る。それが合理的に必要であるならば殺すというのが彼の判断だ。
尖った漫画だ。漫画は人に夢を与えるものと語る漫画家が本作を読んだら、いったいどのような感想を述べるのか…。

ただ、作風は明るい。「太臓もて王サーガ」を第一巻作者解説内で取り上げたり、デルウハの顔芸リアクションで空気を変えたりしており、終末系で殺人事件が多発しているにもかかわらず暗い雰囲気はない。コメディチックで、それでいて論理で話が組み立てられており、殺人やイペリットという理外の存在で外連味も出ている。読み返したくなる楽しい作品で、事実掲載誌であるジャンプSQでは毎週のようにアンケート1位か2位だったそうだ。

ネタバレしない範囲での本作の紹介はこれくらいだ。ぜひ読んでみていただきたい。ちなみに私の推しはいちこである(不器用さと悩みが人間らしくて好き)。
以下では最終巻までのネタバレありで感想…というかだらだらと非論理的な所感を述べる。

ネタバレ防止用クッション

悪魔の信奉者しかいない

「寄生獣」では悪魔に一番近い生物はやはり人間だと思うと言われているのは有名な話だろう。本作の主人公デルウハは合理性の悪魔を体現している。彼の行動原理は食うことで、殺すのは手段でしかない。一般には生きるために(動植物を)殺すのが大多数であるが、彼は食うために生きており、食うために(イペリットやハントレス、人間までも)殺す存在だ。

よみはデルウハと結託して他のハントレスと戦うシーンはあるが、手足を落とすだけに留めている。殺しはデルウハが担当したと強調されているが、最終的にハントレスとデルウハの和解、ハントレス同士の結束、世界救済を考えればハントレスに罪を背負わせるわけにはいかなかったのだろう。悪魔はデルウハだけにしておきたかったというわけだ。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

所長も、ハントレスも、読者も、そして作者さえもデルウハという悪魔の信奉者だ。デルウハの論理と行動に魅せられ、彼が勝つことでカタルシスを感じる。主人公だからもちろんそれでいい。本作は悪魔のような男の所業を描き切るために書かれた作品だと私は捉えている。

ただ、デルウハに焦点が当たった反動で最終回では少々疑問が生じた。みちは家族を殺されて何を感じたのか?
デルウハはみちに対して「他人と関わることを覚えよ」という苦言を呈して、最終的にみちは克服している。言い換えればハントレスや家族との関係構築がみちのテーマだったのだが、最終回ではみちの家族は殺されてしまった。それをみて、彼女は何を思ったのか。
もちろん、家族をデルウハが殺したと気づいていない可能性もないわけではないが、墓石サイズ問題を受けてデルウハが埋葬したと気づけばデルウハによる殺人というのはほぼ自明だ。彼女はその殺人を許せないながらもデルウハのことを愛したのだろうか?これは描写されなかったので作者しか分からないだろう。

コミュニケーションが本作の軸だったのか?

最終話でタイトル回収をしたと私は捉えている。つまり、コミュニケーションは本作の軸だとは私は思わない。イペリットという強大な敵に立ち向かうべく、殺害による記憶操作によってハントレスを制御する話だったはずだ。

とはいえ、デルウハはハントレスとコミュニケーションを取っていなかったわけではない。食うために行動しているデルウハにとって、研究所防衛のためにはハントレスの力は必要であった。ハントレスをチームとしてまとめ上げるためには、彼女たちとコミュニケーションをとる必要があったからこそ、デルウハは彼女たちのことを知ろうとした。その点に関しては誠実であったと言えるだろう。

そう、誠実さだ。正論を投げつけるだけで積むべく誠実さを放棄しているとしてデルウハは吉永を非難した。逆にデルウハは食うためという自己満足の目的であったり、ときとして殺人や薬といった手段には問題があったが、他者理解のための努力を積み上げていったという誠実さは間違いなくあった。

逆にハントレス側がデルウハに対して「殺人をしたら出ていく」という誠実さだけに基づいたコミュニケーションを取った際には、それは「彼女たちの内面の成長であって、誠実さに対して策を弄せば嘘になる」と作品で語られている。デルウハとハントレスは確かにコミュニケーションを取っていたのは間違いないだろうが、作品全体を通して描かれ続けたわけではなくて、要所要所で語られたという具合である。

むしろ、愛や情なんて勘違いでしかないというオスカー戦での回想と、最終回での"discommunication"(和製英語。相互不理解と言った方がいいだろう)が作者のやりたかった青写真で、最終回をやりたいがためだけのタイトルだったのではないだろうか?

ハントレスたちはデルウハを理解していたのか?

本作の話の主軸の一つはハントレスの成長だ。逆にデルウハはまるで成長しない。ハントレスの成長は認めるが、自身の本能である合理性には従いっぱなしである。
ハントレスは、最終的にデルウハが変わっていないことを正確に理解していたのだろうか?私の答えはイエスである。人格を壊さない、という道を選択させただけで、彼女たちの行動には大いに意義があり、物語として奇麗にまとまっている。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

デルウハは第46話でこう思っている。『ハントレスは「心を痛めながらデルウハが殺人を犯している」と勘違いしている。罪悪感と恐怖がここに縛り付けている』これは不正確で言葉足らずだと私は思う。

第47話でにこは言う。「殺すのが最善だからデルウハは殺人を実行している。壊させはしない」と。
※ちなみに、「私にとってはもう…」という言葉の後には「家族だから」が続くかと思ったのだが、これは妄想だろうか?

ハントレスは愛や情をデルウハに対して抱いており、デルウハにはその感情を理解できなかったのではないだろうか?それゆえに罪悪感と恐怖という言葉でしか表現できなかったのではないか?

人格が壊れたデルウハよりは合理性の塊の方がまだましで、合理性の塊は容易に殺人に手を染めるような非道な悪魔だが、彼らにとっては家族と言って差し支えない存在だからこそ、そばに居続けることを選択したのではなかろうか。結果的にデルウハから見たハントレスの解釈は不正確で、ハントレスから見たデルウハの解釈は正鵠を射ていたように思う。

最終巻はあの展開がベストだったのではないか

デルウハの所業はもちろんそうだが、研究所の所業も倫理的には問題だ。個人的には彼らが滅んでスカッとしたという気持ちが1/4、緊急避難の面もあるから減刑を希望するという気持ちが3/4かな。まあ、作者としてはデルウハサービス回ということなので、信賞必罰という面はなかったのだろうが。

ハントレスとデルウハの和解の話は必ずどこかで必要だったし、合理性が彼女たちの成長を認めて、デルウハが負けるというのはこれ以上ないすがすがしい和解だと思う。
そして、そのうえでデルウハが死ぬことはやっぱり必要だったんじゃないかな…?確かにハントレスの親として彼らにずっと寄り添うという話を見て見たかった気もあるが、ハントレスの成長を描き切るという点で言えばどこかで手を放す必要が生じる。死は最も顕著な別離だからこの終わり方が一番で良いだろう。
自己と他者の間には隔たりがあって、相互不理解なんて日常茶飯事で、愛や情は勘違いでしかなかったとしても、彼と彼女たちの間には確かに誠実さによって積み上げられた関係性が存在した。それが原動力となって、世界すらも救えたという物語なのだから、discommunicationも悪くない。

キャラクターについて一言

よみ

お前は強いのか?で圧力をかけて負けを認めさせた話が序盤にあって、強くなったな…で終盤にまとめられているの良いよね…。
心こそ弱かったが、こいつが一番まっすぐだった。

いちこ

最推しであると上で書いたが、作者も一般的な可愛さをイメージしてデザインしたと言っており、作者の期待通りの読者になったのではないだろうか。砲術の習得がうまくいかなくて泣くシーンは自己投影してしまった。

みち

一番キャラクター周りの描写が少なかったという印象。内面描写が少なかったが、まあデルウハ主体の話だからしょうがないね。
デルウハお手製の猫アクセサリーを身に着けているのはグッとくる。

ななとはち

キャラデザが、これ五等分の花嫁の四葉だよね…?違ったら作者さんごめんなさい。

所所長

最終巻のおまけページがいい。一話にて、世界が復興したら畑のど真ん中で煙草を吸うのが夢と語っているが実現できてよかったね。狂言回しも時折担う。

にこ

にこ最かわ勢は性格の悪い美人が好きそう。殺される理由が不憫。デルウハに対して家族としての愛情を抱いているとしか思えなかった。「世界を救うのは俺たちだって言ってんだよ」をにこが記憶したのが終わりの始まりだったかもしれない。

いつか

元からこいつはいい奴だろ。あまり成長していないかもしれないけど、成長する必要がない。癒し枠。あと、血の能力なのは、ハントレスをまさに血を分けた家族にするためか?というエモい理由なのかと思ったけど、「多分作者さんそんな感傷的なこと考えてないよ」と心の中のもう一人の僕はそう言っている。

むつ

責任から逃げなくなった。伏し目がちだったが、最終ページではみんなと笑いあいながら歩いて終わるし、おまけページでは上を向いているし、成長が顕著。

デルウハ

綿密な計画を立てて、予想外の要素で窮地に追い込まれるサイコキラー。作品の面白さの9割はこいつが創り出している。ギャグとして一番好きなのは第39話「ときどきメモが来る」。ときめきメモリアルとか若い人知らなくない…?誘っているのか?の顔が好き。

最後に

緊張と緩和(=ギャグ)、論理と理外が合わさった傑作サスペンスである。
いつか必ず、エンガディナーは食べようと思う。


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