2024/06/22
音が1次元情報であるということに驚く。バンドの豊かな演奏も、渋谷の雑踏も、全て共通して空気の疎密という1次元情報で表現されていることに。そういう意味で音と小説は似ている。文章というのも、1次元的な文字の羅列で成り立っている。空気の疎密が鼓膜を震わせるのが音だと言うなら、描写の疎密が感情を震わせるのが小説だと言える。
希望でもある。表現にバラエティを与えるのに、必ずしも情報の多次元性は必要ないということでもある。映画やVRが、表現として小説に勝るとも限らないということでもある。
リズムと音色に対する希求がある。良いリズムには良い疎密があって、良い疎には良い密が要る。良い音色は良いリズムに支えられる。
そういうものを書きたいと思う。