僕らって、自分の人生を周りの環境のせいにしがちですよね💦😰😭😖
僕らって、自分の人生を周りの環境のせいにしがちですよね。
「そんなことはない!」と強く言える方もいらっしゃると思いますけれど、以前の僕は周りのせいにしてしまうところがありました。
大変失礼しました。😭😰😖
以前だけではなくて、今でも時々、自分の事を棚に上げて、周りの環境のせいにしてしまう時があります。
でも
そういう時には、
僕は、過去のスポーツを通した実体験を思い出すようにしています。
すると、「僕も変わることができたんだ!」と
あの時を思い出すことで
主体的に生きていけると己を奮い立たすことができるのです。。。。。
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ラクビー部
しかし、自分の人生を振り返って、高校生活が一番幸せで、充実していたと思う最大の理由。それは、高校でラクビー部に入部したことだと断言できる。
中学校は、父親に言われて野球部を途中退部。
ラクビーというスポーツはそれまで経験したことはなかった。
テレビで試合を見たこともなくて、興味の範疇外だった。
都立府中高校で最も強い部活動は、ハンドボール部。全国大会に出場実績もあり、広いとはいえないグランド全面の半分をハンドボール部が占領していた。
残りの半分をサッカー部とラクビー部で共有するという状況。
当時の運動部の勢力図をとても分かりやすくしていた。
たまたまラクビー部の先輩達が、新入生勧誘で一年四組を回ってきた際に、一回でよいから練習に参加してほしいと声をかけられたので、同じクラスの柳君と練習に参加してみることにした。
体と体でぶつかり合うのは、痛いのではと、とても不安だった。
しかし、練習に参加してみると、何故か楽しかった。
後ろにしかボールをパスできないルール。
どの方向に転がっていくのかが予想もつかないボールを追いかけ、取り合ったりする。
練習している先輩達の体型は、他の部活動をしている人と比較しても、さほど変わらない感じがした。これぞラガーマン的な、大柄で筋骨隆々の体格の人は、1人か2人しかいなかった。
厳しいコーチなど居なくて、顧問の先生は、化学のベテラン先生でラクビー未経験者。噂通りの弱小、弱点だらけのラクビー部だった。
ラクビーボールが、自分の後方に転がっていく状況は、とても劣勢で危険な状態。
何故かというと、ラクビーは陣取り合戦的要素があるので、こちらに向かってくる相手側にとって、とても有利な状況となるのである。
従って、ラガーマンは、その時、セービングという自分の身を投げうつ行動を取り、ボールを相手に渡さないようにしなければいけない。
セービングの下手な1年生は皆、左右の太ももとおしりの間ぐらいの皮膚の皮が、べロリと剥ける通称「ハンバーグ」という直径4cmくらいの楕円形の傷を二つ持つ。
家に帰って風呂に入ると、悲鳴をあげるくらい沁みるのだけれど、皆で、ハンバーグを2個作って、笑いながら練習に参加していた。
最終的に正式入部した1年生は、僕を入れて11名だった。
元陸上部の敬ちゃん、バスケ部の基晴君、巨漢の中岡君、首のない西君、元野球部の田中君、元サッカー部の次郎、プロレス大好きな長さん、おしゃれな柳君、やんちゃな俊ちゃん、お調子者牧田君。
経験者はゼロ。みんな同じスタートラインに立ってラクビーを始めることになった。
多少の足の速さの違いや、ボール扱いの上手い下手はあったかもしれないけれど、皆平等だった。
この10名との出会い、一緒に過ごした高校生活が、最高に幸せな時間を作ったベースというか基盤だったと思う。笑いの絶えない毎日だった。
先輩が卒業し、いよいよ自分達の代になって、対外練習試合を始めた。
連戦全敗で、なかなか1勝ができない。しっかり弱小ラクビー部の伝統を受け継いだ。
楽しければそれでよい。それで十分だという雰囲気の毎日に僕らは満足していた。
自分達で考える
しかし、高校3年生の六月。突然ラクビージャージ姿で見たこともない人が、狭いグランドに現れた。その先輩は、今大学生でラクビー部に入部しているのだという。
自称元府中高校ラクビー部の先輩。
突然現れて、集合をかけるその先輩に僕らは、当然面食らった。
しかし、その先輩は、それから約2週間もの間、練習に現れた。
そして、フォワードとは何か、スクラムとは何か、バックスとは何か、細かな動き、理想像を、実践を通して、ひとつひとつ丁寧に僕達にレクチャーしてくれた。
そして、何より、自分達で考えることが練習中も試合中も一番大切なのだと、言葉にして教えてくれたのだ。
前にも述べたが、僕らにはコーチは存在しない。
代々受け継がれた練習メニューを、日々惰性で繰り返しているだけだった。
そんな僕らが、徐々にではあるが練習メニューから始まり、サインプレイまでも自主的に考え始めた。そして、最後には、サッカー部と共有の狭いグランドでは物足りなくて、広い練習場を探し始めるなど、能動的な活動領域がドンドン拡大していった。
誰からか指示を受けたことなど一切、1度もなかった。
皆で、話し合って自主的に判断し、行動していった。
僕もあの辛い思い出の本屋に行って、戦術の本を買ってきて、バックスのサインプレイを考えて、キャプテンの長さんとスタンドオフの次郎に提案。
採用が決定し、皆でサインプレイを練習した。
その後の、某高校との練習試合で、そのサインプレイで牧田君がトライした時、自分がトライをとったわけでもないのに、本当に興奮したのを今でも覚えている。
僕のポジションは、左のフランカーで、ラインアウトのスローワーが担当。
特に、スローワーの練習、ラインアウトの練習は、右のフランカーの基晴君と全体練習が終わった後も、ふたり遅くまで残って、何度も何度も繰り返し自主練習をした。
僕は元野球部の時の投げ方を意識して独特なスローイングを発見。
元バスケ部の基晴君は、ダンクシュートをイメージしたキャッチング方法を取得。
結果、2人にしかできない、2人しか理解できない絶妙なタイミングで行われるクイックスロー&キャッチモデルを発明できた。
何万回という練習によるお互いの信頼関係から生まれたこのラインアウト。
体の小さい弱小ラクビー部にとって、ちょっとした武器になった。
背の高いフォワードが相手でも、マイボールのラインアウトを相手に奪われることは、90パーセントの確立で無くなった。
何故、自発的にラインアウトの練習に、あれ程打ち込むことができたのか。
その理由は思い出せない。
僕と基晴君のラインアウトプレーだけではない。
敬ちゃんは元陸上部なので、真っすぐ走るのはとても得意だった。
敬ちゃんにはオープンサイドのウィングになってもらい、バックスは狭く詰めてパスを外へ外への展開。敬ちゃんがボールを持って、グラウンド対角線上に真っすぐ外へ外へと走るプレーをみんなで作れば、必ずトライがとれることが分かった。
また、元野球部の田中君は、とにかく周りの状況がよく見える視野の広い所が強み。なので、スクラムハーフになってもらい、要所で相手の穴を見つけては、皆に的確な指示をいつもだしてくれた。田中君の気づきを、相手チームはとっても嫌がった。
西君は、首がないのではなく何故が生まれながらにしてとても強い首の持ち主。
夏合宿で驚異的な彼の首の強さが判明し、フッカーのポジションになった。
試合中、大事な場面でスクラムを組むと、相手のフッカーが西君の首の強さで胸が痛くて、唸り声をあげることがよくあった。
いざという大事なスクラムの場面で西君が首に力を入れる。
すると、西君の優しい笑顔に油断している相手スクラムをグイグイ、ズルズル押し込むことができた。
元サッカー部の次郎は、キックをとにかく磨いた。自主練習の鬼と化した。
プレスキックを得意とし、接戦でも僅差で勝てる様になった。他チームに比べて持久力に劣る僕達は、次郎のキックのお陰で何度も何度も助かった。
プロレス好きのキャプテン長さん。血を見るとどんでもないパワーをだす性格。
試合中に血がでた怪我をしたら、必ずナンバーエイトの長さんに何故か見せに行く。
すると、血を見た長さんがボールを持つと、豹変し何人も倒し猛進する。
必ずトライを取ってくれる頼れるキャプテンになるのだ。
1番巨漢のプロップ。たまたまバックスの練習に参加して走ってみると、とても軽やかなステップで、スルリスルリと相手をかわす足使いの魔術師。
新しい中岡君のキャラクターを皆で発見したこともあった。
その足技に、相手フォワードは、タックルする体の向きをどちらにするかいつも悩んでしまう。そうこうしているうちに、ひょいひょい皆抜かれていくのだった。
俊ちゃんと柳君の2人は、センターというポジション。二人のここぞという時のディフェンス。敵一人に二人で行う、イチかバチかの攻撃タックル。
このプレーは成功と失敗の表裏一体のプレーだった。しかし、何度そのプレーがチームを救ったことか。二人のコミュニケーション、意思疎通力には後輩部員が、歓声を上げていた。
みんなで前向きに取り組んでいると、何かしら特技をお互いに見つけ合えた。
試合の流れの中で、ここぞ!という時には、あうんの意思疎通で秘密兵器をだす。
チームの総合力と、独自のチームバランスが、高校3年生最後の大会直前に完成した。
迎えた高校3年の最後大会。
経験者ゼロの弱小都立高校ラクビー部が、連戦連勝。
試合に勝ち進む中で、「勝ちたい」が「勝てる」に変わっていく。
そして、勝利という言葉をラクビー部全体が口にする様になっていった。
僕達三年生が、心底楽しんで連習に取り組む姿に、後輩部員にも「勢い」が伝播。
ラクビー部活全体が一致団結。ひとつになった。
結果、その年に、東京都地区優勝した高校に負けるまで、ベスト八迄勝ち残った。
伝統的な部ではないので、戦歴等過去の資料は皆無だったけど、府中高校ラクビー部の歴史上、最高成績だと思う。僕達は、快挙を成し遂げた。
最終戦、負けた直後のことも今でも覚えている。
皆で、抱き合って泣いた。僕は、基晴君と抱き合ってわんわん泣いた。
それは悔いのない涙で、感謝の涙で、晴れ晴れとした気持ちから溢れる涙だった。
個性的な仲間の得意不得意をお互いに理解し合って戦う組織。
尊重し合い、良いところを引き出す素晴らしい仲間だった。
卒業式の翌日。マネージャーから僕達へのプレゼント。
ラストゲームが組まれた。大勢の学校生徒がわざわざ見に来てくれた。
戸惑いながらも、自分達で色々調べたり考えたり。
夢中になって目先の課題をクリアしていたあの頃。
他の人と協力して、同じ一つの目標に向かっていくことの面白さ。
同級生に励まされ、そして僕自身も他のメンバーを自分なりに助けて応援した。
あの頃に戻りたい。