コロナと放射能とオリンピック
この1年半、コロナに関する様々なニュースに流れる度に私はこの10年福島で起きたことを思い出していました。。ウィルスは見えず、それ故に怖いものですが、見えない恐怖というのを私達は一度体験したはずです。
福島で考えたことについては以前にまとめたのですが、この時書いたことがコロナ禍の今にも共通して言えるのではないかと考えるようになりました。それは見えない放射能を見える化することです。
それまで単発的に福島のことからコロナ禍を見るというnoteをあげていきましたが、東京オリンピックを直前に控えたこの時期に、今コロナ禍に対して日本の政策は何が足りていないのかについて書き、それまでの文章と共にまとめてあげることにしました。それがこの『コロナと放射能とオリンピック』です。
私は放射能の専門家でも伝染病の専門家でもありません。私がこれから書く対策はもっと根本的な部分についてのものです。一言でいえばそれは放射能と同じく見えないコロナの被害を見える化することです。
このページは本でいう「はじめに」と「目次」のページになっています。1章と2章はコロナ禍の1年半の中で書き綴った福島のことから見て思うこと。3章で東京オリンピック直前の今、どうするべきかを書いています。結論が知りたい方は3章から読むといいかもしれません。
目次
1 放射能とコロナを巡る気持ちの問題
あなたはあなたであってあなたでない
空気こそが一番怖い
コロナ部活動問題に見る普通の魔力
「緩み」と「不安」
2 あの時の福島から見えること
対コロナ政策は福島と同じミスを冒そうとしているのではないか
仮の暮らしは1ヶ月しか続かない
緊急事態宣言(非ロックダウン宣言)はアンダーコントロールという危険な賭け
『シン・ゴジラ』巨災対に学ぶなぜ専門家の声がうまく活かされないのか
命と人生を天秤にかける愚
3 五輪直前の対策:見える化と見ない化
被害と責任を可視化する
オリンピック開催を認めさせる方法(オリンピックを止める方法)
コロナは短期戦なのか長期戦なのか問題
見える化の次にすること
「オリンピックだけが特別なのか」への答え