伊藤 陽寿

伊藤 陽寿

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「バタフライ・ノット」-「終着点」の先を目指して~クィアで聴き解くGARNET CROW④

前回の、「クィアで聴き解くGARNET CROW③~「最後の作品」を考える」では、「風の中のオルゴール」と「closer」が「行く者」の視点から描かれた楽曲で、「見守る者」の視点から描かれた「Nostalgia」のアンサーソングになっていることを示した。 また、「行く者」「見守る者」が、「ゆり七」というグループの中心を為す二人の「JUDY」を指す場合、それぞれの視点に立った楽曲の歌詞も「作詞 AZUKI 七」の原則に反しもう一人の「JUDY」によって描かれているのではないかと

    • クィアで聴き解くGARNET CROW③~「最後の作品」を考える

      前回の「クィアで聴き解くGARNET CROW②~「clockwork」のもうひとつの仮説」では、「clockwork」の歌詞をクィアな視点に立って考察することで、GARNET CROWの中心メンバーである「ゆり七」が二人の「JUDY」であるという可能性を見出した。こうした前回の結論、そして今回の考察は、もはや完全に原曲のイメージや発表された時期などから筆者が考察した限りなく論拠の乏しい「妄想」であると言える。しかし、「わからないことは原典から考察すべし」を信条としている身と

      • クィアで聴き解くGARNET CROW②~「clockwork」のもうひとつの仮説

        前回の記事にて筆者は、GARNET CROW、引いては作詞者であるAZUKI七が、「子を産むことができない」というテーマを持つ「JUDY」を「一線を画す」作品として扱ったという事実に対し、これはなぜなのかというかたちで結んだ。 そこで今回は、最近たまたま聴いて痺れた楽曲「clockwork」を題材に, このことに迫って行きたいと思う。 「clockwork」は、2008年10月に発売された「百年の孤独」のカップリング曲である。当初この曲を聴いた際、前奏が3rdアルバムの「C

        • クィアで聴き解くGARNET CROW①~「JUDY」の表象

          GARNET CROWのいちファン(通称ガネクラ)りーぬ氏の投稿、「寄り添うJUDY抱きしめて」https://note.com/nue_mihe/n/n2a64825537e3 に啓発されGARNET CROW「JUDY」を視聴。 痺れに痺れ、以後曲が頭から離れなくなったので、りーぬ氏の記事の影響の下、私もみずからの視点による分析を披露してみようと思った。 俄かガネクラである私の視点など取るに足らぬものだし、りーぬ氏の足元にも及ばないが、りーぬ氏の分析にあやかって私の視

          歴史研究者によるYouTube配信についての覚え書き

          普段交流のある沖縄の若手歴史研究者が、YouTube配信を利用してドラマ「テンペスト」について語り合うという企画を行っている。私もチャット機能を利用しリアルタイムでコメントを入れながら参加した。 この配信を視聴するなかで、チャットにてリアルタイムに参加する視聴者も企画「進行者」の一員であるということを痛感した。内容がなんであれ、YouTube配信そのものが紛れもない「エンターテイメント」であることを忘れてはならないと感じたのだ。 http://www.nhk.or.jp/dr

          歴史研究者によるYouTube配信についての覚え書き