コインランドリー(の待ち時間)編
一月三日、正月料理で散々胃袋を痛めつけた俺は来たる日常生活をピカピカのスニーカーで迎えるべくコインランドリーへ向かった。
連れ合いと出かけたが、途中で一度でこんなに靴は洗えまいと気付き別々のコインランドリーを目指した。瀬をはやみ岩にせかかるなんとやらである。
俺は行きつけの、クラシック音楽が漏れ聞こえてくる程度の音量でかかっていて、そこはかとなく不気味なコインランドリーに入った。正月はなんとなく混んでる印象があったが、利用者は俺一人であった。やはり不気味だからであろうか? 少なくとも正月に来たい場所ではないのはわかる。
靴用の洗濯機の説明をよーく読み200円を投じて起動させた。何度来ても覚えられない、というより繊細微妙な所作を多数要求されるのでこれで合っているのか毎度不安になるのである。ともあれ一度蓋を閉じてしまえばもう俺にできることはない。あとは野となれ山となれ、だ。
暇になったところで俺は早速尿意を催し近くの公園のトイレへ向かった。年末年始で絶え間なくアルコールを摂取していたため、輪をかけて頻尿である。たまに頻尿で悩むこともあるが、ちんぽから石が出るというカタストロフを迎えるのとどちらがいいか。天秤にかけるまでもなく頻尿を選ぶ。健康のために飲んで流す。大事なことのように思う。
尿意を耐えながら待つ信号は無限に思える。無駄にウロウロしてしまって恥ずかしくもある。小走りで横断歩道を渡るとすぐに公園があり、これまた入り口のすぐ側に公衆トイレがある。ありがたい。おじさんが長々と用を足していて、「長いな!」と思う。小便器は二つあって一つは空いているし、俺は生来気長な方だと自覚しているので、こう思わせるのも尿意のなせる技である。
尿意は時を引き延ばす。「にょうい」という字面もなんとなく伸びそうな感じがする。尿意を催してからの最寄りのトイレまでの時間は長い。平常時の三倍にも感じる。これが電車で、しかも中央線の通勤特快であったなら……想像するだけでも恐ろしい。
かくして俺は無事尿を足し、一度コインランドリーへと舞い戻った。靴の洗濯は20分ほどで終わる。コインランドリー備え付けの少年サンデーをパラパラしているうちに洗濯機は止まった。乾燥機は洗濯機よりずっと簡単だ。ただ四つ飛び出した竹筒のような突起に靴を挿せばいい。料金も100円で20分乾燥できるので良心的だ。家での洗濯はむしろ乾燥にヤキモキするが、コインランドリーではそれが逆さまである。乾燥機バンザイ。
東八と国分寺街道が交わる交差点にこのコインランドリーはある。交差点の南西にコインランドリー、南東に前述した公園、北西には店舗がコロコロ変わるテナントがあり、北東にはスーパーがある。100円分の乾燥を待つ間に俺は買い物を済ませることにした。正月料理にも飽きたのでタコライスの材料と酒を買い、三たびコインランドリーへ向かった。申し訳程度に綺麗になった靴とタコライスの赤ちゃんを抱え、連れ合いのいるもう一つのコインランドリーへと歩き出した俺の元へ報せが届いた。「乾燥機に200円入れちゃった。」200円入れちゃったら40分乾燥しちゃうのである。しかしパリパリの靴は気持ちが良いので良しとする。
俺はスーパーの裏にある団地の隣の公園のベンチに腰掛け先ほど買った黒ラベルを開けた。突き抜けるような青空が印象的だ。聞けば関西の正月は曇りがちらしい。しかしその分湿度は高い。潤ったクラウディーな正月か、パサパサでパキッとした正月か。一応、一応! 東京モンな俺はパキッとした正月を手放したくはないと思う。
公園には例の如く持ち主不明のサッカーボールが転がっており、W杯にほだされた俺はリフティングにでも興じようかというところだったが、俺がベンチから立ち上がるより先にイガグリのような親子がやって来て野球を始めたので俺はそそくさと退散した。
もうすぐあちらの靴も乾くだろう。いつの間にやら出来た、この土地には似つかわしくないエスニックサンドイッチ屋はいつの間にやら潰れ、今度は実直なコーヒー屋がオープンするとの張り紙を見た。張り紙を見ている間に連れ合いがこちらへ歩いてくるのが見えたので張り紙を見せ、連れ立って帰った。よい正月であったと思う。
じゃ、また。